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事実は時に想像よりも優しく

沖縄市で、こまつ座の舞台『木の上の軍隊』を観た。2013年が初演のこの作品を私は東京で2度観ていて今回が3度目だが、妙に緊張していた。山西惇さん、松下洸平さんら出演者をはじめスタッフの方達には大きなプレッシャーがあったことだろう。『木の上の軍隊』は沖縄の伊江島で本当に起こった出来事だから。

1945年4月、米軍が上陸した伊江島では激しい戦闘が続いた。島民の3分の1にあたる1500人がこの戦闘で命を奪われた。日本軍はほぼ全滅だったという。そんな中、2人の日本兵が、敵から姿を隠すためガジュマルの木に登り、そこに留まることを選んだ。1人は沖縄(劇中では伊江島、実際は旧石川市)の人だった。初めは終戦を知らずに、米軍の廃棄したものを食糧にしながら2人は2年近く木の上で生活し、その後無事に生還した。

沖縄市民会館は、嘉手納基地と目と鼻の先。米軍施設が目の前にある。開場後も受付の手続きのため、ホール前には長い行列ができ、賑わっていた。年配の方から子供連れの家族まで、様々な人たちが集まっている。チケットは完売。1500ある客席は埋まっていた。初めての沖縄公演。私の緊張の理由は、同じ客席にいる沖縄の人たちがどう受け止めるのだろうかということだった(上演サイドでもない私が、余計なお世話なんだけど)。戦争の表現、現在の基地の存在を感じさせる表現。また2人の兵士のやり取りの中にはついつい笑ってしまうようなエピソードや会話がある。人間らしさを感じさせる芝居ならではの良さではあるが、「ふざけるな」と怒ってしまう人もいるのではないか。

波音から物語ははじまる。客席がすっと静かになり、空気が変わる。舞台には本物に似せて作られた見事な大きなガジュマル。2人の俳優を中心に物語は進んでいく。

・・客席からは笑い声がよく聞こえた。むしろ東京の観客以上によく笑っていた。時には「え?そこで笑うの」というタイミングでも大きな笑い声がする。

もちろん私の主観に過ぎないが、彼らは芝居を楽しんでいた。

それが沖縄の人たちだということを、私はこのとき思い出した。もちろん複雑な気持ちの方もいただろうし、戦争の表現に辛いことを思い出した方もいただろう。けれど、うまく言えないけど複雑だからこそ、当事者だからこそ、彼ら彼女らは笑ってきた。

カーテンコール。芝居が終わる瞬間や、明かりがつく瞬間を沖縄の人たちは完璧なタイミングで感じ取り、拍手する。本当にセンスがいいなと感心する。さらに私の主観に深く入ってしまうけれど、「遠くから私たちのために来てくれてありがとう」と伝えているような空気を感じた。

会場のどこかから、沖縄特有の指笛の高い音が鳴った。


あとで思い出したことがある。実際の沖縄の兵士、佐次田秀順さんの息子、勉さんにお話を伺った時のこと。舞台では、上官がのんびりした沖縄の若い兵士に対し事あるごとに苛立ち、若い兵士は自分の生まれ育った島よりも、国や自らの権威を守ろうとする上官に疑念を持つ。実際には2人の関係はどのようなものだったのかをたずねてみた。勉さんは答えた。

「ぶつかることはなかったようです。生きることに必死で、2人で助け合わなければならなかった。ひとりが病気になれば片方が看病し、食糧も分けあっていた。対立している場合ではなかったんです」

触れてみると事実は時に驚くほどシンプルで、優しい。遠くから丁寧に思い描いてみるよりも、ずっと。けれど私たちはやはり想像することをやめてはならない。ふたりが2年もの間、降りることができなかった木の下に広がっていた社会とはなんだったのかを考え続けたい。

蔵原 実花子 (TWFF)


舞台からこのエピソードを知り、伊江島で撮影した動画『伊江島、ガジュマルの沈黙』(毎日女性会議第6期作品、下村健一さんによる「想像力のスイッチ賞」受賞)。木の所有者、宮城孝雄さんにお話を伺った。


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