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彼女はとても自然にその言葉を選んでいた

沖縄に行くと、いつも集まってわいわい話したりする仲間達がいる。

そのうちの一人は沖縄で生まれ育った人で、メディアの仕事をしている。

私は取材のヒントをよくその友人からもらう。元名護市長の稲嶺進さんに会いに行ってみたらどうかと助言してくれたのも彼だし、完成した映像に厳しめの指摘もしてくれる。沖縄の兄貴みたいな人だ。

昨年、やはり那覇で集まりお酒を飲んでいた時に、2016年4月に起こったうるま市の女性殺害事件の報道の話になった。当時20歳の会社員の女性がウォーキングに出かけ、在沖米軍属の男性に暴行殺害された事件だ。

「あの時全国区のテレビでの多くの報道を見てたんだけどね」
と友人は話し始める。


多くのアナウンサーやコメンテーターが「沖縄の女性がまたこのような被害に遭い・・」と話す中で、ある報道番組の女性アナウンサーだけが、

「日本の女性が被害に遭い」

と言ったんだよ。はっとした。嬉しかった。

彼女が意識的にそう言ったのかはわからないけど、たぶんそうじゃない。そういうのって、センスだと思うんだよ。


私も当時、同じように報道番組を多数見ていた。友人の言う番組もおそらく見ていたと思う。けれど何も気づかず、聞き流していた。そして自分自身も「沖縄の女性」の被害に悲しみ、怒っていた。「沖縄では」またこのような痛ましい事件が起こってしまう、と感じていたのだった。

この時はもう2軒目で酔っ払っていたし、他に何を話したのかほとんど覚えていない。けれど友人のこの話だけは脳裏に焼きつき、離れない。繰り返し繰り返し思い出している。

(写真は2015年5月15日、本土復帰の日に行われる平和行進のスタートを待つ間、埋め立て準備が進められる大浦湾を見つめる少女。撮影・蔵原)


蔵原実花子(TWFF)

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