【伝説最強】プロ野球2000年代の選手でチームを組んでみた
1940年代のチーム
1950年代のチーム
1960年代のチーム
1970年代のチーム
1980年代のチーム
1990年代のチーム
先発投手
2005年 ソフトバンク 杉内俊哉 18勝4敗防御率2.11
利き手はやめろ!ブルガリア事件で骨折するも抜群のキレを誇るストレートとスライダーで三振の山を量産したドクターK!ソフトバンクのエースとして活躍。小林至の問題発言により「携帯会社と一緒ですよ、新規に優しく既存に厳しい」と言う言葉を残し巨人にFA移籍。巨人でも3年間活躍して、股関節の怪我で引退。
2006年 ソフトバンク 斉藤和巳 18勝5敗防御率1.75
登録名が「カズミ」の時期もあった。怪我に泣かされた大器が一気に覚醒して実働は短かったものの大エースとして活躍した。2006年プレーオフでの日本ハム八木との投げ合いに破れて崩れ落ち号泣した姿は忘れられない。とにかく凄い投手。
2006年 広島 黒田博樹 13勝6敗1セーブ防御率1.85
父親もプロ野球選手。完投能力が高く150キロ前後のストレートとシュートを武器に活躍してメジャーリーグでも毎年安定した活躍を見せた。20億円の契約を蹴り広島に復帰した。引退年も2桁勝利と格が違っていたし、大卒での200勝達成投手は阪神の村山実と黒田だけ。
2007年 東京ヤクルト セス・グライシンガー 16勝8敗防御率2.84
バルカンチェンジを武器に最下位と低迷するヤクルトをラミレスと支えて最多勝。翌年ラミレスと共に巨人に入団して2年連続最多勝に輝く。怪我に泣かされたが移籍したロッテで復活したバージニア大学出身のエリート投手。
2007年 北海道日本ハム ダルビッシュ有 15勝5敗防御率1.85
言わずとしれた日本プロ野球歴代最高の投手。入団時は素行不良があったため単独指名だったのは日本ハムからしたら幸いか?2009年WBCで胴上げ投手になり、メジャーリーグでも大活躍を続けている世界屈指の先発投手でYouTuberとしても活躍しており様々な業界の有名人と絡むなど常に向上心と好奇心に満ち溢れている。
2008年 楽天 岩隈久志 21勝4敗防御率1.87
近鉄→オリックス→楽天と形式上オリックスOBでもある。長身から投げ下ろす直球とフォークの威力は凄まじく怪我さえなければ大活躍をしていた。メジャーでも活躍して巨人に移籍するも怪我に泣かされて引退。
2008年 広島 コルビー・ルイス 15勝8敗防御率2.68
本当は6人だけ選ぶのにどうしても入れたかった投手。打者顔負けの打撃に豪速球に抜群の制球力でメジャーに復帰してからも活躍した大投手。
リリーフ投手
2002年 西武 豊田清 6勝1敗38セーブ防御率0.78
抜群のコントロールに速球とフォークのコンビネーションで相手を圧倒した。先発から抑えに転向して大成功した投手で巨人や広島でも活躍した。
2002年 ロッテ 小林雅英 2勝1敗37セーブ防御率0.83
「幕張の防波堤」の異名を持ち毎年安定した成績を残した。高速シュートの威力は抜群でストレートより速い時もあり152-154キロのシュートを投げていた。インディアンスから巨人、オリックスと渡り引退。
2006年 中日 岩瀬仁紀 2勝2敗5ホールド40セーブ防御率1.30
「死神」のニックネームが付くなど日本シリーズで圧倒的な強さを誇る。通算1002試合登板、407セーブは日本プロ野球最高の成績。宣銅烈、ギャラード、大塚晶文がいたため抑えに転向したのが遅かったのにも関わらずこの成績はレジェンド
2006年 阪神 藤川球児 5勝0敗30ホールド17セーブ防御率0.68
火の玉ストレートでJFKの一角として大活躍。来ると分かっていても打てない浮き上がるストレートは野球ファンを魅了した。メジャーでは思うような結果は残せなかったが、独立リーグ高知に移籍後阪神に復帰して見事に復活した。解説者としても的確な解説で大人気。
2007年 阪神 ジェフ・ウィリアムス 1勝2敗42ホールド防御率0.96
JFKの一角で、他球団を絶望に叩き落とした。藤川ノーチャンス、ジェフノーチャンス、久保田ワンチャンスと防御率1.75の時の久保田だとまだ可能性があるなと言うくらい最強の投手陣だった。左サイドから抜群のスライダーと速球で圧倒した。
2009年 巨人 山口鉄也 9勝1敗35ホールド4セーブ防御率1.27
風神としてスコット鉄太朗の一角を占めた育成の星。育成選手出身者として初の新人王、3億円プレイヤーになるなどの大活躍に9年連続60試合登板、通算279ホールドなど日本ハム宮西と一緒に中継ぎ投手として名球会入りが期待されている。
指名打者(DH)
2003年 西武 アレックス・カブレラ打率.324 50本塁打 112打点
子どもの頃はユネスコ村に車を停めて西武ドームでカブレラのホームランを見ると言うのが定番だった。圧倒的なパワーで三浦大輔から打ったホームランは推定飛距離180mでプレートが設置されている。それに加えて高打率を残すなど打撃技術にも優れていた。
一塁手
2006年 中日 タイロン・ウッズ 打率.310 47本塁打 144打点
非常に大激戦の一塁手で広いナゴヤドームで凄まじい成績を残したT.ウッズを選んだ。元々は横浜に入団してコックスの控え外国人選手として獲得していただけにこの活躍は見事。右中間にホームランを打ち、場外ホームランなど圧倒的な飛距離でファンを楽しませた。
二塁手
2003年 ダイエー 井口資仁 打率.340 27本塁打 109打点 42盗塁
2004年広島ラロッカとかなり悩んだが、42盗塁で井口を選んだ。史上最高のダイハード打線を牽引して、メジャーリーグでも活躍した。ロッテに移籍後も安定した成績を残して監督まで務めた。
三塁手
2008年 巨人 小笠原道大 打率 .310 36本塁打 96打点
三塁手も村田、中村紀と激戦!巨人ファンということで小笠原を選んだ。セパ両リーグでMVPを達成するなど「ミスターフルスイング」、「ガッツ」などの愛称でファンから絶大な人気を誇った。小笠原の応援の際にイルカ🐬が使われるのは小笠原諸島から。
遊撃手
2002年 西武 松井稼頭央 打率.332 本塁打36 87打点 33盗塁
最強のスイッチヒッターとして絶大な人気を誇り、この年はトリプルスリーも達成した。メジャーリーグに挑戦してその後楽天に移籍して最後は埼玉西武に復帰して引退。今季から監督に就任した。小さい頃の憧れだった人も多いのではないだろうか?
外野手
2001年 大阪近鉄 タフィ・ローズ 打率.327 55本塁打 131打点
当時のシーズン最多本塁打55号に並んだ。長きに渡り日本プロ野球で活躍した伝説的な外国人選手。
2002年 巨人 松井秀喜 打率.334 50本塁打 107打点
国民栄誉賞も受賞したゴジラ松井。日本最終打席で50本塁打を達成。三冠王は福留孝介に阻止されるもMVPと日本一を達成。
2006年 中日 福留孝介 打率.351 31本塁打 104打点
当時最強の外野手で走攻守全てに優れており、広いナゴヤドームで日本人選手として初の3割30本100打点を達成した。
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