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木のスプーンを買いたい。

最近の悩みは、ものがありすぎて選べないことだ。

とある休日に木のスプーンを買うことを思いついた。なんとなくスマホで通販サイトやアマゾンを覗いてみたのだが、同じ木でもクリでできたもの、アカシアでできたものがあるし、おなじスプーンでもカレー用とアイス用があるというように、何百ものラインナップがあって、その商品一つ一つに特徴が詳細に記されている。

それらを一つ一つ見ていくうちに、本当は自分が何を欲しかったのかがわからなくなって、結局買うのをやめてしまう。

本当は食べることをほんの少し楽しみにするために買おうと思っていたのだが、ひとまず”選ぶモード”に入ってしまうと、そんなことを一切忘れてしまってどれが一番お得なのか、どれを買うことが正解なのかを探すことに夢中になっていく。だから、結局木のスプーンはお店に行って直接手に取って気に入ったものを買おうという気になる。

友達と食事に出かけるときには、

『何料理食べる?』

から始まり、たいていは待ち合わせ場所付近のイタリアンや和食を探す。お店選びで欠かせないのは、グーグルや食べログだろう。私たちは、そこから口コミと星の数をみてお店を決めていくし、評価の高いお店はたいてい味もよいし、メニューも斬新だったりする。すごく便利で、とてもありがたいのだが、それでも心の中でうずき続ける違和感的な何かを消し去ることはできない。

1年くらい前にお会いした方で、レストランの口コミを上げる請負人のような仕事で生活している人がいた。その人によるとお店の口コミの数や星の数はレストランの死活問題になるので、そういう切実な思いを持ったお店のオーナーはどんな手を使ってもウェブ上の自分お店の評価を上げるようになる。その一つの手段として、彼らはそういう請負人を使って、たくさんの人に人為的に書かせた口コミに依存するようになるのだ。

お店側からしてみれば口コミでお店を選ばれる時代に必要不可欠なことかもしれないが、それってそもそもどうなのと思うのは私だけだろうか。

集客のために人為的に作った評価は、言わずもがなそのお店が本当に得た評価ではないし、さらに、人によって何を評価するかは違うので、本来であれば☆4つのレストランだからと言って絶対いいお店だって言い切ることはできないはずだ。でも、私たちはどうしてもそういう指標しか頼りにできないし、そういう指標はとても便利だからもやもやを抱えながらも、ウェブ上の口コミを見て食べるもの、行くお店を決める人が量産されていく。

便利であることや効率が良いことは、時間のない現代の日本人にとってはすごくありがたいことなのだが、そこに思想がない時のむなしさとか、半ばグレーゾーンな虚構とか、使い手側の違和感が必ず生じる。なんというか、ユーザー側としては考えるプロセスも含めて楽しみたいのに、それを先回りして『はいはい、あなたはこれを選ぶのが正解よ、悩むとか考えるなんていうのはとことん無駄なのよ』というようにあらゆる『もしかしたらいいかも?』の選択肢を完全にシャットアウトしていく便利ツールに日々の生活が完全に包囲されていく感じだ。逆に縛られていく感じというか。

結局ここで言いたかったのは、人間ってそんなに簡単に割り切れる生き物ではないということと、今ある便利ツールはその割り切れなさをくみ取っているわけじゃないから、もやもやするときはいったん離れてみるのがいいのかもということだ。ということで、私もこれからニトリに行って木のスプーンやらお皿やらを見に行ってこようと思う。割り切れない人間の面白さ、憎めなさを存分に味わっていこうではないか。


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