私が大学に落ちた日〜エピソード2〜
浪人、そして快進撃
昨日書いたように、私は12年前に大学受験に失敗しました。
高校3年当時は受験への認識が甘く、落ちても当然だという有様でした。そして浪人することに。
ただそこで、私の落ちた大学に受かった元彼女と再会…
そして苦手だった数学の教科書がないという、神様の悪戯…
そして私は決意しました。志望校を変える!
条件は二つ。
①元彼女の通う大学より偏差値が上
②前期試験(二次試験)が国語、英語、日本史
そして私はその条件を満たす、「阪大」を目指すことにしたのです。
そこからの私は、自分でもビックリするほど勉強しました。
というよりも、「言われたこと」はできるんです。
私は高校受験の際、福岡では有名なスパルタ系学習塾(福岡県民は特定できますよね笑)に通いました。
その塾はとにかく課題が多い。ですが言い方を変えれば、レールをゴールまで敷いてくれるんです。
しかし、私の通った高校の校風は自由。生徒たちは先生から言われなくても、自分ですべきことを探して成長するスタイルだったのです。
そうしていわゆる「指示待ち人間」だった私は、やることを決めれず…
そんな背景があったのですが、浪人した予備校では、課題課題課題…それを嫌がる人は多いでしょうが、私にはあっていました。
みるみる成績が上がり、秋の阪大模試では上位10位に名を連ねました。そしていよいよ、受験シーズンへ。
センター試験→前期試験
センター試験では、ボーダー以上の点数をとることができました。(自己採点ですが)
ということで、予定通り
本命:阪大、スベりどめ:関西の私大
これでいくことに。私立の方は合格。二浪は絶対にできなかったので、一安心でした。
ついに運命の前期試験。しかし、夏からずっとA判定。そして阪大模試ではトップ10…落ちるはずがない。
そう思っていた私は、後期の出願をせずに、前期のみに出願しました。本当に舐めてます。
飛行機で大阪へ。阪大は伊丹空港から近く、前日からホテルをとり、下見へ。もう正門で写真まで撮っちゃいました。
学校周りを散歩…あぁこのカフェに来るのかな。スーパー近いな。この公園で遊ぶのかな。
そして部屋に帰り、バンクーバーオリンピックを見ました。浅田真央ちゃんがキムヨナさんに負けたんですよね。 (ほんとお前、勉強しろよ笑)
受験当日。
当日。午前、確か国語からだったような気がします。それを終え、昼休み。
ご飯を食べるとすぐに眠くなる私は、ウィダーインゼリーを流し込み、英単語帳を眺めていました。
「〇〇くん?」
私の名前を呼ぶ声。ここは大阪。どうして私の名を?そう思って振り返ると、そこには高校3年時のクラスメイトの女子がいました。
「え?田中(仮名)さん!!?どうしたの?めちゃ久々やん!」
田中(仮名)さんも、現役のころ、私と同じ大学に落ちて浪人していたことは知っていました。
ただ、田中(仮名)さんも志望校を変えて、阪大を受けていたとは!
しかもよく聞くと、学部も同じで、受験会場も隣の部屋でした。
「いや〜奇遇やね。まじ頑張ろうね!」
そういった私の言葉を聞くと、田中(仮名)さんはスッと立ち上がって言いました。
「お互い、受かってさ。一緒に大学生活楽しみたいね。私も、〇〇くんがいた方が心強いし。一人暮らしとかもさ。」
え?これって…
「じゃ、午後も頑張ろーね!また!」
田中(仮名)さんはそういって、教室棟へ入っていった。
自分の心臓の音が聞こえた。もしかして、田中(仮名)さん…
すると、なぜか田中(仮名)さんが戻ってきた。
「あの、これ。甘いもんは脳にいいらしいよ」
私の手の上に置かれたのは、『KitKat』だった。
前期試験。2月25日。バレンタインデー…ん?
教室に戻った私は、『KitKat』を開けた。
ドロッドロだったので食べれなかった。
受験には不合格。友人、親、先生方が口を揃えて言った。「どうして落ちた?」
私が聞きたかった。「どうして落ちた?」
手応えはありました。ですが、ほとんどの問題が記述式だったので、出来はわかりません。ただ、力が及ばなかったことだけがわかりました。
そういうことで、私は関西の私立大学に通い、現在に至ります。
noteはいいですね。じつはこの話は、嫁にもしていません。やはりプライドが邪魔しているんです。でも、ここに書いてスッキリしました。(ちょっとギャグテイストにはなりましたが)
もちろん後悔はあります。ただ、これでよかったとも思っています。
長くなったので、考えたことなどは明日。もっと自分の心の中を深堀りしてみます。
読んでいただいた方ありがとうございました。
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