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無敵の微笑みを見るまでの10年 その3

「小学5年生男子」なんて身内への拡散力最強の肩書きなのよ。この興奮を一人で楽しむには勿体なさすぎた。

次の日の学校。私は夜遅くまでスピッツを聴きあさっていたため、眠りは浅かったが、足取りは軽かった。そして、思いつく限りの友達たちに聞いてみた。

「スピッツ知ってる?」
「すごい曲見つけたの!」

「誰それ・・・?」
「知らねー誰だよ」
「聞いたことないそんな曲ー!そんなのよりEXILEのがかっこいいよ!」

あれはショックだったなあ。違う意味でガーンとなったのを今でも覚えている。あの時の流行りは、EXILEやAKB48、少女時代やKARAなどのグループが若者の間で大流行していた時期だった。1人は知っている人がいると思っていたが、本当に1人もいなかった。小学生の無邪気な否定ほど、傷つくものはない。

家に一人帰る足取りは重かった。河原の道を1人。自転車で走る君を追いかけることもなく、田舎道をただ1人歩いた。

「誰にもわかってもらえないんだ」
 私は、この日を境に一切、スピッツの話をすることをやめた。周りの音楽に対してで古い曲が好きな自分を恨んだ。趣味がコンプレックスになることは本当に辛かった。
 
 けれど、やめなかった。スピッツを聴くことをやめようとはひとつも思わなかった。
 「君が思い出になる前に」には、直接的な情に訴える部分があるし、「青い車」には、爆発的な疾走感、「チェリー」には、文学的な歌詞から織りなされる希望の情景が。それぞれの曲を極めるように聴きあさった。

 小学5年から6年からは理解者はいなかった。けれど、自分的スピッツの礎を作ったのも、この期間だった。スピッツのどこか控えめな雰囲気だけど、心はロックなところが、昔の自分にはリンクしていたのかもしれない。

 中学に入学した。別地区の小学のやつらと初めて対面した。初めての隣の席は、別地区から来た男の子だった。初めてのホームルームでの自己紹介タイム。
 
 「歌手はゆずが好きです」

 「ゆず」のCDもあの中に入っていて、何曲も聞いたことがあった。スピッツをはじめ、古い曲が話せなかったこの2年間。しかし、条件反射で私は、

「ゆず、少し知ってるよ!スピッツとかその年代の曲ばっか聴いてて、、、」

 意気投合した。お互いに趣味のぶつけ場所を見つけた私たちはあっという間に仲良くなった。他の趣味も合うこともあって、毎日のようにゆず、スピッツの良さを話してはおすすめの曲を教え合ってを繰り返していた。

 この辺りから、歪んだ性格の自分と独特で繊細で、少しばかり控えめなスピッツの歯車が合わさりあうのだった。

 その4へ続く。

 

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