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開戦と同時に降伏宣言 #1

 体にまとわりつくような暑さ。2023年の夏は記録的な酷暑となった。日中は殺人級の暑さ。夜になってもその暑さは変わらない。鼻の勘が良い私にとって、汗臭い都心は地獄そのものだった。
そんな都心には、日常とかけ離れた異世界が点在している。そこは、日頃の生活では目にすることがないような、絵本の世界に出てきそうな、そんな空間だ。その異世界は、どこでもドアでしか見たことがないくらいの真っピンクの扉を開くと現れるのだ。

 異世界との出会いは冬場だった。大学の先輩と飲み屋街をふらついていた時。
やはり、野郎どもで飲むのは楽しいが、酔いが回ると華が欲しくなる時もある。
元々噂には聞いていた。私たちがよく飲むこの街に、異世界がたくさんあると。少し酔っているくらいがちょうどいいだろう。その噂の真偽を確かめるべく、我々ほろ酔い調査隊は、街のメインストリートに向かった。
その街には、異世界への案内人が何人も待ち構えている。そう。異世界は1つだけではない。その街だけで数十種類もあるのだ。我々庶民は、束の間の夢を見るために、異世界の種類を選択できる権利がある。案内人は全員揃って、プラカードのような板を持ち、異世界の正装のままメインストリートにいる。

 しかし、異世界の住人たちは必ずしも皆が前を向いているとは限らない。というかもはや、下を向いている案内人の方が多い。理由は、我々の世界の人間の今どきの理由と同じだ。

 天気、ニュース、サービス、そしてゲームまで。今の世の中は全て小さい箱に収められている。自分に必要な情報を効率よく収集したいがあまり、移動の際の情報収集に気を取られ、前方不注意になることもしばしば。異世界でも、スマートフォンは必需品なのだろう。内容は違えど、多くの案内人は下を向いている。

 案内人たちに覇気が感じられない。それは、前述の通り皆が取り憑かれているように下を向いている。メインストリートには現実しか転がっていなかった。
私たちは無心で、細い路地へと向かって歩いていた。

 細路地ということもあり、そもそも人が少ない。しかも、都会の細路地は汚い。
歩くことも億劫になってきた私たちは適当な居酒屋に入ることも選択肢の1つに出ていた。そんな時、目の前に1人の案内人がいた。そこに唯一いた案内人は、異世界の良さを、笑顔1つで私たちに表現していた。

 都会の空気と元の性格の悪さで薄汚い私たちの心は、その笑顔に引き寄せられていった。その案内人は、慣れた足取りで異世界へとわたしたちを運んでいった。

 これが、2023年の冬。戦前の話である。

#2へ続く。

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