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サッカー部は嫌いじゃなかった #4

中学3年生。受験の年だ。部活動では最後の大会まで残り2ヶ月ちょっと。さらに、このクラス分けで割り振られたクラスで行くのが修学旅行。体育祭も文化祭も最後。私にとって、このクラス分けはとても重要なものだった。

クラスメイトには、サッカー部のおちゃらけもの、サッカー部の陽キャ3人くらい。極め付けに、サッカー部長も同じクラスだった。

今だから言える話、クラス一覧を見た時、「終わった」と思った。1.2年と同じクラスだった仲の良い奴らとも離れ、中学に入ってからあまり話してこなかった奴も多かった。不安でしかなかった。そんななか、担任の先生が2年連続同じ先生だったのは不幸中の幸いかな。

そう。そもそも、この先生はサッカー部の顧問なんです。#1の先生とはまた違う若い先生なんですけどね。2年生の時の担任発表で、この先生の名前が呼ばれた時、心の底から絶望したのを今でも覚えている。そもそも、1年の時は学年付きでもなかったのに、大人の事情でうちの学年にやってきたという。最悪だ。サッカー部に対して印象が悪いなかで、担任が急にサッカー部の顧問になるなんて。四方八方固められた気分でした。この先生の話も、今度書きますね。

そんな環境で始まった中学3年生の1年間。ありがたいことに私はまたも学級委員に投票で選出していただいた。しかし、それは、半年間のストレスとの戦いでもあった。

学級委員とは時に憎まれ役に、自らを犠牲にしなければならない時がある。あくまで自論だが。それを象徴する最大の出来事は、クラス間の揉め事の定番、「修学旅行の班決め」である。

修学旅行の班決めは大いに揉めた。この手のことは女子が長ーく揉めて、男子は高みの見物をするのが割とあるあるなのだが、うちのクラスは男子も男子でとてもとても長引いた。

そもそも、修学旅行に行くにあたって決めなければならないことがあまりにも多かった。行き帰りの新幹線の席、1,2日目の宿の班、班別行動の班・・・

これを2時間で決めろというんだから学校側もなかなか酷なことさせるよね。この2時間で流石に何とかなるだろうと・・・そう思っていた私が馬鹿でした。

ここからが本当の地獄の始まりでした。

#5へ続く。


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