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エフィカシーがそもそも超高かったので解放してみたら生きやすくなった話


はじめに

※ご注意※
タイトルがタイトルなのでお察しの方も多いと思いますが、「エフィカシーがめちゃくちゃ高い状態で生きているこの私のエフィカシーがなぜ高いのか」と言うものを自分なりに解釈して書いているものなので、人によっては「なにこいつ…」ってなる可能性もあるかなと思います。


もしそう思ってしまったり、今の精神状態で見たらきついかもって人は、場合はブラウザをそっ閉じ推奨です。

逆に、「なんでそんなエフィカシー高くいられるの!?」みたいなヒントが欲しいって方がいれば、続きをご覧ください。
何かヒント?になることがあるかもしれないです。
あるかな?あるといいな!

一緒にエフィカシーぶち上げて人生楽しく生きていきましょう!!!!!




すべてのはじまりはその一言。


まずは友人に言われたこの言葉。


「この子、素でエフィカシー超高いから」
(友人歴半年)(即バレする本性)(なぜバレた)(大好き)


そのときは「あはは〜」って笑ってたのですが、家帰って、数日経過してもずっとその言葉が頭の片隅に残っていて。


「え、私ってなんでエフィカシー高いんだろう?」


確かにSFで自己確信が8位に入っているので、何かしら高くなる素養は持っている様子。
(そんなに8位だと別に高いって言えなくない?って思ってたけど10位以内なら十分とのこと)

なんで、自己確信が8位に入ったり、エフィカシー高いって他の人から言われるくらいになっているのだろう?っていうところが気になったので深堀しようと思いました。



▷まずは一人で考えてみた


かんがえてみました。

早速なんですけども、わたし昔から、自分は基本的になんでも人並みにできるタイプの人間だな〜って思っています。
もう自己確信の塊みたいなこと言い出してるんですけど。

はじめてのことでもそこそこ早く。
勉強は多分普通(だった)、スポーツは基本的に人並み〜それ以上にできるものもある、仕事も覚えるのはそこそこ結構早いから割とすぐ戦力になれる。


バイトでも仕事とかでも、1ヶ月経った段階で「えっ入ってからまだ1ヶ月しか経ってなかったんだっけ?!」って言葉をもらうことがめちゃくちゃ多かった気がします。
その件について先輩に昔聞いたことがありますが、「確かに焦ってるのかもしれないけどそれは表に出てないし、落ち着きもあるからあんまり新人感がない」らしいです。ベテランの風格を出すのも早い様子。


これについては多分、物事に対する勘所がよくて、最低限何を押さえおけばうまくできるとか、できるように見せられるとか、どこが出来ていればここは捨てても大丈夫、みたいなところを掴むのが早いんだと思います。

逆に勘でやってて基礎すっ飛ばしたりしているせいで、ある一定のところで伸び悩むと言う悩みはあったりするんですけども。


という感じなので、あんまり今までの人生において「全くできない」ってことはなくて、人と比べると成功体験が多いから自信を持てるって言うのはあるかもしれないなあと思いました。

とは言えちゃんと失敗体験もあるし、落ち込んだり泣いたこともあるけど失敗と思っていないというか、「もう過ぎたことは仕方ない、今の現状から選べる次が良くなる手段を探そう」ってすぐ切り替えるタイプです。
負の感情が長続きしない…っていうのも特徴かもしれないです。


あとは、これは友人に言われて気づいたことですが、物事を選択するときの軸に「できるか」「できないか」っていうのはないです。
できないからやらない、ってことはないんです。
だって多分なんだかんだ最後にはできちゃうので…(何?)

だからやった場合のリスクとか後悔と、やらなかった場合のリスクと後悔、その他の不安要素で判断しています。



▷コーチングで解き明かしてみた


月1回、あいみさんにコーチングをしていただいていたので、その中で解き明かしてみました。


◎何かに進むってなったときの道の選び方のイメージは?

平坦(2次元)
→平坦=2次元なので、壁にぶち当たるっていうイメージがない
(道の上に沼があったりまきびしがあったり障害物は存在する)
→100点の道と50点の道と0点の道があって(その点数は選ぶ時には分からないけど)、でもこれは100点ではなかったな〜と思ったら多分それは一般的には”失敗”にあたると思うけど、私の中では失敗って思ってなくて、
「ちょっと道逸れたな〜」とか、「まあもうここにきちゃったからな〜こっからどう進むか考えるしかないよな〜」みたいな感じ。
→目の前は平坦なので、ちょっと高さを出すとその先にある道が俯瞰して見えるみたいなイメージ(高さを出す方法は成長して背が伸びる、なのかジャンプなのかは不明)。


だから、自分の中では「壁を乗り越える」とか「どん底から這い上がる」みたいな「高さ」のイメージはないです。
あくまでも前に進む道の上に何かが邪魔してる。
取り除くのか、橋を作るのか、燃やすのか、埋めるのか、そもそもその道を回避する脇道を探すのかっていうイメージ。
戻るってことはない(進んできた道(後ろ?)は闇)


◎失敗とは?

最上と比較すると違ったな〜くらいのもの。
なんでこの道を選んじゃったかな〜って思ったり、原因を考えることがあっても、責任を感じたりずっと考え込んで苦しんだりはしない(だってその時間とその感情が無駄なので)
=感情の無駄遣い


◎感情の無駄遣いとは?

自分の中に感情用の大きな貯水タンクみたいなものがあって、その貯水タンクから伸びている蛇口を全開にして周りを水浸しにしている感じ(特に悲しいとか不安とか寂しいとか)。
貯水タンクが空っぽに近づく=感情がすり減っている、みたいな。

垂れ流しにしないで器に貯めることができれば、次の何かの水やりとかに使って糧にするし、受け止めてくれる人がいると共有するものとして存在するのでそれは感情の無駄遣いではない。



◎私の人生の捉え方

自分の中には小さいワタシがいて、それがRPGの主人公みたいな感じ。

今までたくさんの選択をしてきて、もし思った道とは違うところに辿り着いたとしても、今まで貯めてきたたくさんの経験値があるから回避できるし前に進めるってイメージを持っている。
(生きていくことはすなわち重量制限なしのインベントリを拡大して生きているってイメージ。)



◎自分のことを色に喩えると

白なのかも。
→なんだかしんどいなあってなってくるとカラースケールの明度が下がっていく感じ。回復すると白に近づくイメージがある。
生きづらいと思っている時は真っ黒な中にぽつんと白(=自分)があるイメージがあった。



◎今生きやすいのはなぜ?

エフィカシーが高いことを表に出すことで周囲と馴染めないことが嫌だった。
だからそういう面は極力出さないで、馴染めるように頑張ってきたのだと思う。

でもいまいるコミュニティはいろんな色を持っている点がたくさんあって、それがまとまってみたり、離れてみたりしてひとつになっているようなコミュニティにいるから「馴染めない」っていう感覚がない。

こんな自分でも「素敵だね」って言って受け入れてくれる場所があるから、我慢する必要がなくなった、っていうのが近いかもしれない。



と言った感じでした。
イメージ的な話なのであまり掴めないかもしれないのですが。ニュアンスで伝われば。


ここで気づけたのは

今までもできたんだから次も絶対できるんだよ!!っていうのを過去の積み重ねから得ている。
・リスクは考えるけどそのリスクが実際課題として湧いて出たとして、それはその時考えればいいし、その時回避する方法もや手段も、なんなら真正面からぶち当たっていくっていう選択だって、過去の経験から正しく導き出せると思っている。

そしてその生き方をしても心理的に安全だと思える環境に身を置けるようになったので、いまはとっても生きやすくなっている。

っていうことがコーチングで見えました。


成功失敗問わず、今まで生きてきた中で得たたくさんの経験から、自分の望む道にたどり着ける手段を導けるし、ちゃんと結果を得られるって信じているんだなと思いました。


で、コレをどうやって手に入れてきたかってなると本当無意識だなと思うんですが、1つ浮かんだのは、もし達成できなくても「え、ここまでできたの超偉くない?」って考えることもめっちゃ多いです。
めっちゃ自分のこと褒めます。
他にも、人が褒めてくれた言葉とか良い評価をしてくれたこと、何度でも聞きたいって思うので、繰り返し聞くこともありました。

人がしてくれた評価を素直に受け入れて、「だってわたしすごいって言ってもらったし〜」って自分の評価として持ち続けることは多かったから、これは結構エフィカシー高めるのに一役買ってそうです。



さいごに


今こうやって書いてnoteに書いて、自身満々にこんなこと言ってますが、それこそ3ヶ月くらい前までこんな風に言えませんでした。

だって、普通に嫌じゃないですか?
「わたし全部できますが?」みたいなスタンスで常に生きてる人が身近にいるのって。暑苦しいというか、目障りというか…

そんなふうに周りの人に思われることが嫌だから、「いや〜できるかな〜?」みたいな感じで言って流すとか、「できないかも〜」〜みたいな態度を取ってたりしました。


私の場合は、SHElikesに入って、「わたしなんて」って決めつけないっていうお約束があって、ていうかそもそもSHEはエフィカシーを上げてこうみたいなコミュニティだから、できるようになったこととか出来たことに対して周囲の人もめちゃくちゃポジティブで誉めてくれるし、きちんといいところとして見てくれる人がたくさんいるんです。

そんな中、SFで強みとして持つ人が少ない「自己確信」がわたしにはあって、その資質を押さえつけているのは勿体無いってまで言われると、もっと出していってもいいのかなって思うようになれました。

ちなみに一回サシ飲みの場で全力開放してみたら「胸焼けするわ…」って言われたんですけども。


今回こうしてnoteに書いてみたのって、単純に自分の覚書とか整理のために残しておきたいな、って思ってっていうのもあるのですが、なんでもなさそうな人がやたら自分の生き方に自信満々で過ごしている様をお見せすることで、「え、あの人あの程度のことでなんでそんな自信満々に生きているの」って思ってもらえたらいいなって。

そしてその姿が生きやすそうだなって思ってもらえたら、自分の選択とかやっていることに対して自信を持つきっかけになってもらえるかなって。


本当に、ちょっとでも自分がやっていることに自信を持つだけで、すっごく生きやすくなるし楽しくなるので、ぜひ「わたしなんて」って言葉を捨ててみてほしいなって思います。

自分の努力で解決してもいいし、いっぱいそのことに関して考えてもいいし、その結果一人で自信が持てないなってなったら、周りの人から自信を持てる言葉をいっぱいもらってもいいと思います。

そうして自信が持てるようになったらきっと、楽しいですよ。




また書き直すかもしれないけれど、とりあえず解放したい思いなので解放します。


ここまでお読みいただきありがとうございました!



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