『他人』を『批判する人』は『お金に余裕がある人』

 新型コロナが発生してだいぶ経つ。その途中に「自粛警察」、「マスク警察」なる人が現れた。今なら「不織布警察」だろうか。

 マスクをしてない人がいると自分が感染してしまう、マスクしてない人がいると自分以外の誰かが感染してしまう。

 正しい、間違ってはいない。その人は善意を持っているし、自分の行う事も善意だと思っている。誰かの役には立つだろうし、感謝もされるかもしれない。

 だが過剰だ。だけど過剰になるには理由がある。

 前述したのは人の為を思って「善意の活動をする人」。だがそれ以外にもいる。マスクをしていない人、マスクの付け方に問題のある人を「良く思わない人」。

 まぁ、今はマスク付けてる人がほとんどだからマスクの付け方悪い人か。

 後者の「良く思わない人」からになるけど、真面目なんだよね、正直なんだよね。だから周りでやってない人がいると面白くない。なんで自分だけこんな思いをしなくてはならないのかと。だからやってない人が妬ましい。

 自分にしか目がいってない。だから実際はみんなが面倒くさい事を強いられている事に気付けない。想像力がないわけでもない、理解力がないわけでもない。ただ、被害妄想が強いだけ。自分の意思でマスクを付けているはずが誰かにそれを強いられているからマスクを付けている感覚に陥る。やらされている感と言った方がわかりやすいかもしれないけど。だからマスクの付け方が悪い人がいるとまるで自分だけが損してる感じになり許せなくなる。

 自分にしか目がいってないという事は他人から入って来る情報が視界に入らない。他人が興味を持つ事には興味が無い。情報は自分のみの興味で集めたため偏り充実度は低い。他人に興味が無い為、他人の事で動く事は無いから自主性が低く活動的ではない。指示待ち人間に近いだろう、やむを得ない時にしか動かないから。だけど、そういったやむを得ない事で自分に何かを強いられた場合、どうしてもやらされている感は強くなってしまうから被害妄想は段々と強くなっていく。

 そういう人は常に「○○でなければならない」という衝動に駆られている。偏った情報で思考が構成されているため、他人の意見を取り入れると言う選択肢を失っている。

 そういう人は普段から抑圧された環境下にいるか抑圧された環境で育ってきた期間が長い。

 抑圧された環境で過ごしている人は抑圧してる人に制御されている。

 抑圧してる人の意思でしか動けないから、そこに自分の意思は通らない。

 自主的な人には育たない。他人の意見で動かざるえないから。そして他人の意見で動く事が当たり前になる。

 結果、抑圧される事しか知らないで育ったから人を抑圧する事を覚えた人が育つ。

 人を抑圧する事を覚えた人は人を抑圧すれば人をコントロール出来ると誤認する。そこに実体験という根拠があるから尚の事それが正しいと思い込む。

 他人という存在を知らないから、自分の価値観=他人の価値観になる。自分の価値観と他人の価値観は違うという事にはその人の中でならない。人はコントロール出来ると思う。

 コントロール出来ない対象をコントロールしようとする。無駄な時間にしかならない。

 自主的に行動出来る人は自分の意思で動くからマスク警察にならない。それが無駄な時間を費やす事を知ってるから。既にそれ(マスク警察)はいて敢えて自分がやらなくてもそういった人達がやってくれるだろうと思っている。

 「自粛警察」も「マスク警察」も「不織布警察」も便利に利用されているだけ。その行為が喜ばれる事もなく感謝されてる事もなく。

 なぜ無駄なのかそれは後述。

 前者の「善意の活動をする人」。

 良い事をしなさい、悪い事はしてダメ。人の役に立ちなさい、人に喜ばれる事をしなさい。要は人に尽くしなさいと言う事。さっきの抑圧に似てるかもしれない。人の為に社会の為に尽くす事が素晴らしい、そんな教育。

 素晴らしいね。綺麗な世界になるね。ただ、人を傷つけるという事を知らないで育つ。

 誰も子供に人を傷つけるような人にはなってほしくはない。

 だから、人を傷つけるという事がどういう事かわからないで育つ。

 列に割り込みをした人がいる。悪い事をしたから押しよけた、力一杯込めて。相手は大ケガをした。周りの人にやり過ぎだと言われた。何の事かわからない。自分は悪い事した人をよけただけ、それは良い事。自分は良い事をしただけ、何も間違った事をしていない。そうしか思わない、思えない。傷つける行為の意味を知らないから。

 出来るだけ子供には綺麗な世界で育ってほしい。当たり前の願いだ。けど、綺麗になり過ぎた。汚いものとの接触は避けられるようになった。特に虫との接触が。

 珍しい虫を見つけた。誰かに見せたい。手に持って運ぶ。だけど子供は虫を生きたまま届ける事が出来ない、加減がわからないから。人の体温に耐えられず死ぬか、手に持った時の力加減で潰して死なせてしまうか。ただ、その時に知る、虫の死体を見て。生命を傷つけてしまう事の不快さを。

 傷つける事の不快さを知ってる人はためらってそれ以上進めない、傷つける事の不快さを知らない人はためらいが無いから致命的な事を与えてしまう、悪気なんてない。

 そして人の為に社会の為に尽くす事で育てられた人は褒められる回数が少ない。評価基準は人の為に社会の為になる事だから。自分の好きな事を頑張った時に褒められたいけど叶わない。綺麗を求められるという事はそういう事。

 褒められたい、褒められる事に餓えている。今ならマスク関連を指摘すればその通りだと褒められる。誰かの役に立つし、感謝もされる。けど、忘れてる。傷つけるという事を知らないから言葉で致命傷を与えてしまう事に。そのうち言われる、過激過ぎやしないかと。でも本人はそれに何も思う事なく気付く事もなく「マスク警察」になっていく。満たされもしない、自分の好きな事で褒められるわけでもないから。

 「善意の活動をする人」も「良く思わない人」も思い込みが強い。

 思い込みが強い事は良い事だが大抵の場合は良い方向に作用される事は数少ない。幸せには遠いかなれない。

 過剰に批判する「自粛警察」、「マスク警察」、「不織布警察」の人達に共通するのは生活に余裕がある事。自分である必要のない「自粛警察」、「マスク警察」、「不織布警察」が出来て、たいして重要でもない人に時間が使えるから。

 生活に余裕のない人は人を批判する時間も割けない。今、そして数時間後をどう生きるかと考える事で精一杯だから。生きる以外の考えが出来ない。

 だから誰かを批判する人、しかも批判する人が自分である必要性もないのに誰かを批判する人は時間に余裕がある人。時間に余裕のあるという事はその時間は生活が保障されているという事。生活が保障されているという事は保障するためのお金に余裕があるという事。

 お金に余裕が無い人はわずかなお金しかないから選択肢すらない。自分、そして自分にとって大切な人のみにしかお金が使えないから。

 だから人を批判するような人はお金に余裕がある。

 一見、コロナで生活が大変なように見せて実はみんなを欺いてる。

 

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