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ハリウッドのゴジラが私を救ってくれた

2019年の春、私は勤めていた会社を辞めた。
理由は無茶なシフトによる睡眠バランスの乱れによる不眠のためだった。
不眠が解消されるまでは退職期間だけでは到底足りず、いまも眠れない夜がある。
仕事が原因で不眠になったため、同じ業界に転職するのは怖かったが、生きるためにはどうしてもお金が必要だ。何より、また同じ業界で働きたい気持ちが強かった。

そろそろ決着をつけないといけないな、と考えていた頃。
たまたま池袋の映画館付近を歩いていた私は、なんの気まぐれか映画館に吸い寄せられるように近づいた。
映画館なんてもう十年以上行ってなかったにも関わらずに。きっかけは思い出せない。何か気になる広告でもあったのだろうか?
そして、上映スケジュールに印字されていた、ハリウッドで作られたゴジラ映画に興味を引かれた。
怪獣たちの王、ゴジラ。
私は、いままで全くゴジラに興味がなかったはずなのに、ハリウッドで作られたというゴジラ映画のチケットを購入した。
映画館に入り、薄暗いライトの下でいろいろなジャンルの広告と劇場マナーが流れた後、館内が暗くなり、本編が始まった。
始まってから10分。自分が五歳の子供に戻ったような気がした。
鼓膜を震わせる怪獣たちの咆哮。
光線を出す前に一枚一枚青白く光っていくゴジラの硬く尖った背びれ。光線を出す前の、カウントダウンのような不穏な音と、ゴジラの口から発射される青白い光線。
ゴジラだけではなく、キングギドラ、ラドン、モスラ、それぞれの迫力のある怪獣バトルと、街が無惨にも破壊されていく様子。
怪獣という存在がもたらす災害の風景。
メインとなる怪獣のシーンの間に分かりやすいように描かれる、壊れた家族と怪獣を調査する機関モナークが繰り広げる人間ドラマ。
怪獣という災害に巻き込まれて命を落としていく一般市民たち。
怪獣たちに抵抗するも、次々と倒されていく仲間たち。
場面や怪獣によって厳かであったりアトラクションに乗っているかのように胸を躍らせるBGM。
「映画館では静かに」という誓約がなければ、私は叫んでいただろう。
見る前までは名前しか知らなかった、戦後まもない日本で生まれた怪獣界の大スターを、ハリウッドが転生させ、令和元年に生まれ故郷である日本に君臨した姿を見て、私は「なんでこの怪獣のことを知ろうとしなかったんだろう」と後悔した。
同時に、昔からなにかしらの作品の影響を受けると、自分だけの物語を描きたくなる、心の奥にしまいこみ、大事にしてきた夢想家の私が叫ぶのだ。
「ああ、今すぐこの、心踊るような物語を自分も描きたい!」
映画館を出た後の、夏の気配を感じる空の下、私は胸に滞っていた息を吐いた。
吐き出された後の胸に残ったの胸には野心も「どうせできっこないよ」という諦めもあった。
それでも私はゴジラの咆哮を耳の奥でこだまさせながら、「早く筆をとりに行かなくては」と、怪獣のいない平和な池袋の街を歩き出したのだ。

それから現在。
私は以前の会社と同じ業界で働きつつ、創作意欲が背中を押すままに筆をとっては、私が書きたい物語を書いている。
残念ながら私にはゴジラのような話は書けていない。一度も物語を完結させたことがない人間に付き合ってられるほど、世界は甘くもないし優しくもない。
しかし、私は諦めることもせずに、自分が書いた物語を描き続けるだろう。
あの巨大な怪獣の咆哮を、耳の奥に思い出しながら。

#映画にまつわる思い出


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