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清盛の最期の言葉に思うこと

【注】アニメ『平家物語』の”エピソード7”のネタバレ含みます。


アニメ『平家物語』の清盛の最期の言葉。

「徳子は、まだへそを曲げておるのかのう…」

現世での望みは果たした。ただ、源頼朝の首を討ちとれなかったことが心残りだ…と、
執念を表した後の、ふと、我に返ったような表情で独り言のように。

その言葉を聞いた途端、こみあげてくるものがあった。

かなしみ、切なさ、愛しさが綯交ぜになったような
泣きたくなるような感じ。

なぜ、そう感じたのだろう。
史実や実際の平家物語とは別物として、私が感じとった清盛と徳子。

徳子が安徳天皇の母となった今、今際の際にいる上皇が亡くなった後は法皇の後宮に入れ、という清盛の命に、徳子は従わなかった。

父は娘がまさか自分に逆らうとは思いもよらなかった。そして、
今まで娘が父の命に“已むなく”従っていたことすらさえも想像できなかった。

なぜなら、
娘は父のものであり、娘は父に従うもの。
その前提は、父という存在にとっては当然のこと、疑いようもないこと。

清盛は“娘”というレンズをとおしてしか徳子をみることができない。
生まれて初めて父に逆らった娘の心を、真意を、
父が理解できるわけもない。

清盛が選んだ言葉「へそを曲げる」という表現がそれを端的に表している。
自分の命に逆らった娘の言動は、つまり、機嫌を損ねたからだ、という答えになる。

徳子を法皇の後宮に入れる、という清盛の思惑は、
平家一門を背負ってきた清盛の欲望を満たすだけではなく、

自分の代わりとなる権威をもって娘を庇護するためではなかったか。

今際の際に、平家一門を継ぐもの、その長という、枷がゆるんで、思わずこぼれた言葉は、

もう護ってやることができない娘を、
ただ想う心だったのではないか。


なぜ、清盛の最期の言葉に泣きたくなったのか、

それはたぶん、
徳子に私を、そして、清盛に私の父を重ねたからだ。

(私の父は存命だけれど(笑))

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