その感想にご用心


人は日々、感想を言っています
声に出さなくても心の中でもSNSでも

暑いな 寒いな
来てよかった 来なきゃよかった
好きだ 好きじゃないな
もっとこうだったらいいのにな

僕もSNSで「感想」をよく書きます

この動画面白い とか
これはこう思う などなど

なぜ人は感想を思い浮かぶのでしょうか?

きっと「けりをつけたい」のだと思います

感想とはいわばその人が出した結論です

目の前のものに自分がどう対処するかを
相手との関係性やらを
決着させたいのだと思います

僕の仕事は落語家なので
舞台の上でお客さんに僕が思う
何かの感想を言うこともあります

例えば

〇〇という映画 面白かったですよ

とかです

でもこれでは相手に届きません

僕の熱烈な
ファンの人は(そんな人いるのか?)
共感という落とし所で
理解してくれるかもしれませんが

初見のお客さんや
割とアンチな距離で見てくる人などは
感想を言ってもその人に届きません
むしろ逆に距離が広がったりしてしまいます


なので僕は

話すときに二つの方法を考えています

まず
なぜそう思ったか、感想までの
「過程」を話してみます
この場合、共感はあえて気にしません
逆に共感してもらえないような
見方、感じ方が僕にあれば
相手に面白く伝わったりします
エンタメになるんですね

分かり合えなくても
感想に至ったこちらの熱量が伝われば
話として面白くなる可能性があるんです

エベレストに登った人の話や
臨死体験をした人の話なんかも
感想だけではない
こちらが考えもしない過程が
話を面白くしていますよね?

話す時に気をつけている二つ目は

相手がすでに持っている感想を
「別の角度で同意する」です

〇〇という映画が面白かった という相手に

それは
監督が前作と変わったけれども
脚本は引き継がれたのが良かった

とか

あの俳優は子どものころに空手を習っていて
大会でも上位にあがるほどの実力があり
元々アクションの素養があった

とか

相手が知っていても「共感」してもらえるし
知らなければ「へーそうなんだ」と
納得という共感へのパスポートが得られます

基本的にはこの二つをベースに
初めての場所では喋るようにしています

上手くいったりいかなかったりですが

なかなか全員に「共感」してもらうのは
難しいです。

あと

よくお客さんが演者に

良くなかった
面白くない

と「感想」を言うことがありますが

これぞまさに愚の骨頂ですね

それは同じ気持ちになっている
お客さん同士で話して
共感すればよい感想、結論であり

相手に言うことではないんですね

ラーメン屋で店の大将に
「不味いね」と言ったところで
感謝などはされませんよ
嫌われるだけです

言う側の理屈は

親切で言っているのに

というパターンが多いですが

親切とは
「常に親しい」ことだそうです

つまり
側で 見守る、信じる、期待する ですね

決して
相手を変えようと思ってはいけないのです

相手は相手なりの「感想=結論」を
すでに持っているからです

お客さん同士で感想を言い合うのは
ありだと思いますが

それでも

よく聞く話ですが

揉める元になってることの方が多いですね

落語はサッカーや野球と違って

勝ち負けや結果がはっきりするものでは
ないので

人によって感想が大きく異なるんですね

名人の芸でも寝ちゃう人がいるし
若手のへたっぴな舞台に泣く人もいます

なので誰かと感想を共感し合うのが
本当に難しいんだと思います

そもそも共感なんて必要でしょうか?

あ、そうか
その気持ちに
けりをつけたいんでしたね

どうかその感想が
無傷でありますように

でんでん


露の新幸(つゆのしんこう)
落語家、関西を中心に高座をつとめる
前職はシンガーソングライター
現在もギター漫談や 桂りょうば氏との
音曲漫才「てれすこボーイズ」でも活動
音楽専門学校で講師も勤めていた経験あり
返事をしたり
たまに歌い出す黒猫と暮らしている


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?