おばあちゃんちの犬



わたしはおばあちゃんちにいた。

おばあちゃんちは、わたしの家から車で2時間くらいのところにある。いつも、夏休みとお正月にお泊りにいくんだけど、あのときはまだ夏休みのずっと前なのに、保育園をお休みして、お泊りに来ていた。

ママに赤ちゃんが生まれるから。


「あと10日くらいかな。」おばあちゃんちに来たおとといの夜、ママはそう言ってお腹をさすっていたけれど、そんなに待たずに、今朝、お母さんは病院にいってしまった。なんてあわてんぼうの赤ちゃんだろう。わたしは今日『どうぶつファミリーランド』に行って、うさぎをなでて、羊にごはんをあげて、ソフトクリームを食べる予定だったのに。

ごろり、わたしはソファの下の床に寝ころんだ。ひんやりして気持ちがいい。お母さんが「赤ちゃんが生まれそう」って言って、おばあちゃんは大慌てで車を運転して病院に連れていく、って、わたしはひとり残されたんだ。

「ゆきちゃん、もうすぐヨータがすぐ来てくれるから、ちょっとだけ待っててね?」「ゆきちゃん、お留守番したことあるから、大丈夫よね?」

「うん、ダイジョウブ。」

そうしてママとおばあちゃんは行ってしまった。ヨータは、ママの弟で、わたしのおじさん、だけど、お兄ちゃんみたいで、おもしろくて、たくさん遊んでくれて、わたしは大好き。今日も、ヨータが『どうぶつファミリーランド』に連れて行ってくれるって、約束してたんだ。もうすぐ約束の時間だけど、ファミリーランドは無しだろうなあ。


ガサッ


庭の方でなにか物音がした。

心臓が〝ドキン”として、体がかたまる。なんだろう?ネコ?それとも…?

おばあちゃんちには猫は飼っていないから、野良猫かな。昔、ママがこどものころには、大きな犬を飼っていたんだって。いいな、わたしも会いたかったな。わたしの家は犬猫の飼えないマンションだ、ってママが言ってた。

ガサガサ

また音がして、庭の室外機のかげから、黒い犬がのっそりと出てきた。わたしは寝ころんで首だけを窓のほうに向けていたけのだけれど、ゆっくりと起き上がった。犬は大きな窓の下の縁台のにおいをクンクン嗅いでいる。

「こんにちは。」声をかけると、犬は窓越しにこちらを見た。大きなまん丸の瞳。口を開けて舌をのぞかせながら「ハッハッハッ」とこちらを見て笑っている。耳の先が少したれた姿が、大きくて黒くてコワイ犬、というよりも、愛嬌があって可愛らしい犬に見せていた。

「どこの子?どっから来たの?ノラちゃん?」どうしよう…窓を開けたらあぶないかな?嚙んだりしないかな?

わたしはゆっくりとサッシのかぎを外すと、少しだけ窓を開けた。犬は私に向かって首を伸ばしてにおいを嗅いでいる。やっぱり目が笑ってる。優しい目。

わたしは手をのばして、匂いをかがせてやった。犬はクンクンと私の手のにおいをかぐと、ペロリと舌でなめた。

中くらい、よりは大きめの、黒い犬だった。真っ黒、というよりは、口や目の周りが少し白くて、あと、足の先と、胸からおなかにかけて白が混ざっているみたい。ふさふさと長い毛は、なでるとスルスルと気持ちいい。わたしはママがいつもよその犬をなでるときにするように、耳の後ろをかいてやった。犬は目を細めてグフグフとだらしなく息を吐いた。

「おまえ、名前、なんていうの?足の先だけ白くて、靴下はいてるみたいだね。」

犬はしばらくわたしになでられていたけれど、急にフンと鼻を鳴らすと部屋の中をのぞきこんだ。

「ダメだよ、中には入れられないよ。」わたしがそう言うと、じっとわたしの目を見て、そのまままた、部屋のなかに視線を向ける。

なんだろう?犬の視線をたどってみると、ソファの前のテーブルに、リンゴをのせたお皿があった。おばあちゃんが、わたしにリンゴをむいて置いておいてくれたんだ。わたしはリンゴが大好きだけど、季節外れのリンゴはいまいちの味で、ひときれ食べて、そのままお皿の上で薄茶色くなってきていた。

「リンゴ、食べたいの?」

犬は、『ようやくわかってくれたね!』というように、いっそう尻尾を大きく振って、〝ハッハッハッ”と笑った。犬ってリンゴ食べるのかな?お肉とかそういうのが好きなんじゃないかな、と思ったけど、リンゴをひとつもって犬に見せてみた。犬は『そうそう!それそれ!はやく、ちょうだい!』というように、息を荒くして笑っている。わたしがサッと縁台にそれをのせると、ガフガフと勢いよく食べてしまった。そして、わたしの目をじっと見つめ、また視線をリンゴへ。

「おまえ、なかなか、頭いいね。」そんなことを繰り返していたら、リンゴはあっという間に無くなってしまった。

すると急に『ワンワンワンワン!!!!』というか、ガウガウガウガウみたいな、低くて怖い声で吠えながら、表の玄関のほうに駆けていってしまった。


ピンポーン♪

「ゆきちゃん、遅くなってごめん!」ヨータが玄関のカギをあけて、ニコニコ立っていた。「生まれたって、赤ちゃん!おばあちゃんからラインが来たよ、ほら!今から一緒に病院に見に行こう!」

ヨータのスマホの画面には、汗びっしょりのママが、しわくちゃの梅干しみたいな赤ちゃんを抱っこして笑っていた。


それから何日か、ママが赤ちゃんと入院している間、わたしはおばあちゃんとお買い物に行って、赤ちゃんのおそろいの服を買ってもらったり、ヨータに約束の『どうぶつファミリーランド』にも連れて行ってもらったりして、楽しく過ごした。赤ちゃんは女の子で、6月生まれだから〝つゆ”って名前になった。ちなみにわたしは2月の雪の多い年に生まれたから〝ゆき”っていうんだ。そんなこんなであの犬のことはすっかり忘れていた。


ママが退院しておばあちゃんちに帰ってきて、なんにちかたった日。梅雨が明けて、おばあちゃんは家中のシーツとか洗いまくって、青空の下に赤ちゃんのちっちゃい服とおそろいのわたしのワンピースがならんで揺れていた。わたしは冷凍庫のアイスをたべていいよ、ってママに言われたから、フルーツバーのリンゴのアイスを選んで、冷凍庫のドアを閉めた。

その時、思い出したんだ。

「ねえ、おばあちゃん、この近くに黒い犬飼ってるおうち、ある?」

赤ちゃんの洗濯物をたたみながら、「黒い犬?プードルみたいな、ちっちゃいの?」おばあちゃんが聞いた。

「ううん、大きいやつ。毛がふさふさしてて、しっぽが大きくてさ、耳がちょっと垂れてる子。」

「この辺にはいないね、最近は小型犬が多いからねえ。黒いワンちゃんにはどこで会ったの?」

おばあちゃんにそう聞かれて、わたしは赤ちゃんが生まれた日のことを話した。すると、ソファで横になっていたママが起き上がって言った。

「おかあさん、それ、アロハじゃない?」

「まさか」おばあちゃんは小さく笑った。

「ゆき、」ママがわたしの顔をじっと見ながら言った。「ママやヨータがこどもの頃、おばあちゃんちには犬がいたの。その犬は、アロハっていう名前で、大きくて、毛が長くて、耳の先がちょっとたれていて、そしてね、リンゴが大好きだったのよ。」

「じゃあ、ひとりでお留守番しているゆきちゃんが心配になって、守ってくれたのかもしれないね。」おばあちゃんはそう言って、昔のアルバムを持ってきてくれた。そこにはまだ子供のママとヨータが、おそろいのTシャツを着て黒い犬をなでていた。犬は足の先と口の周りが白くて、くつろいで横になり親愛のポーズをとっているその胸からお腹にかけての毛は、白くふさふさとしていた。大きなしっぽ、優しい瞳が笑っている。

「そういえば、こんな赤い首輪をしてたよ。」

「やっぱり!ぜったいアロハだよ!!あの子は子犬の時から赤い首輪をしていたの。まって、ヨータに連絡する!」ママは興奮してソファの上のスマホをごそごそと探した。


そうか、あの子、アロハっていうんだ。懐かしいな、また会いたいな、会えるかな。


あれから何年か経った。あの黒い犬は姿を見せてはくれないけれど、わたしはおばあちゃんちでリンゴを食べるたびに、あのこが窓からのぞいている気がして、あの子を探している。


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