ゴミ屋敷を片付けるために断捨離めいた事を始めて二週間目
部屋が汚部屋と化したのでここはもう一念発起、まともな部屋になるまではブックオフや神保町に行く事を控えるぞ、具体的には家にある本を20冊読んだら一回ブックオフなり神保町なりに行っていい、そういうルールを己に課すぞ!と決意したのが二週間前。まだ四冊しか読めていないが意外と古本なんか買いたくならないのでやっぱり自分は買い物依存だったのだ、これからはまともな人間になれるだろう、みたいな記事を書いたのが一週間前。
そして今週、完全にまともな人間になった筆者が満を持して選ぶおすすめNISA物件5件!さらにさらに、これからAIが発達していく中で表現はどこに向かえば良いのか、気の合う仲間達と徹底討論!目利きの編集長が厳選したサブカル新着情報も充実だ!今週も見逃せない内容が盛り沢山のマガジン"押忍!すべすべまんじゅう騎士団"が始まるぞ〜い!一緒にイノベーションを持って資本主義に隷属しよう!さあ、君もレッツまんじゅう!!勝ち組目指して突っ走れ!
という様な記事を書く体力は、取り敢えず今現在私のどこにも残っていない。自分でも信じたくないが、"二週間以上ブックオフに行かない"、という成人してから一度も経験した事の無い状況に身を置いた結果、本当の禁断症状が筆者の体を責め苛んでいる。手が震える。思考が覚束無い。横になって目を閉じると延々と清水国明の声が聞こえる。読書どころでは無い。ブックオフに行きたい。新宿駅前店とか秋葉原駅前店とかのエスカレーターに乗りたい。あのちゃんの広告が見たい。何も欲しい物が無い棚を五回くらいチェックするあのクソほど無駄な時間を過ごしたい。どうしようもないブリットポップのコンピレーションCDを220円で買いたい。カイジを立ち読みしたい。何も興味が無いバンドのCDが買いたい、KORNとか…
そういえば下品な話で恐縮なのだが、先日初めてKORNのCDを買って聴いてみたら「あれ、これどっかで聴いた事があるな…」としか思えず、その"LIFE IS PEACHY"というアルバムの一曲目"twist"を流しながら「何だっけこれ…」と延々考えていたのだが、突如、「あっ、これ、俺が童貞を捨てた時に相手が自分の部屋でかけてたアルバムだ!」と気付いて自分自身のめちゃくちゃな人生にただただ驚愕した。俺ってこれを聴きながら童貞捨てたの!?何でまた!?一曲目ボーカルがふざけ倒してるじゃん!ごっつええ感じのボクシングの国歌斉唱のコントをかっこよくしましたみたいな曲だぞ!?そう、あの頃、俺が若かった頃の東京は自由だった。懐かしい。いや、昔を懐かしんでばかりもいられないのだが。しばし遠くを見てしまいました。
とにかくブックオフに行きたい。もう理屈の及ぶ範疇ではない。この先ブックオフに行けるのは二〜三ヶ月に一度だけという孤独感、喪失感に耐えられず、先日CHARAの「タイムマシーン」を聴きながら感情移入してボロ泣きしてしまった。「これは俺だなあ」と思って。ブックオフに纏わる物ならもう何でもいいから接種したい。この際池袋サンシャイン60通り店の店内放送で何年も因襲的に流れ続けている絶望的な掛け合い漫才ですら別に構わないから聞きたい。なんであの店はあんなのをクラシック扱いにして延々と流し続けているのか?あれがあの店の笑いのスタンダードなのか?あの、今田舎に住んでて、東京のブックオフってやっぱりかっこいいんだろうな〜、店舗ごとにそれぞれ中田ヤスタカとかトーフビーツとかが製作したオリジナルテーマ曲が流れてて、店内にはお客さん同士がダイキリ飲みながらバックギャモンとか遊ぶ用のスペースが設けられてるんじゃないかな〜とか思っている皆さんの夢を打ち砕く様な悲しい事実を書くが、そんなもんは一切無い。代わりに東京都心にあるブックオフの中の一店舗で何が流れるのか、それを今から説明させて欲しい。
日曜日の午後三時。ブックオフ池袋サンシャイン60通り店の中は数多くの親子連れや恋人達で賑わっている。平和なムード溢れる店内で「ああ、こんな本あったなあ、懐かしい。今日はこれを買って昔を思い出してみようかな」なんて暖かな心で古本を選んでいると、突如BGMが何かの凶兆の如く止まり、そしていきなり「どうも〜」という、滅びた村から風に乗って流れてくる鐘楼の音の様な、本当に覇気が無い男女の声が流れて来る。それを聞いただけで多くの人間が「ああ、もうダメだ」と思う事だろう。車の車庫入れをしている際に「ザリッ!!」という音と共に付いた擦り傷の様に、ダメだ、ここからポジティブな事が起こり得る筈が無い、と全てのオーディエンスに確信させるに足る迫真のオープニングだ。そしてまた凄いのが、この漫才の間中BGMが一切無い事だ。
次に女性が「アルバイトの条件ってのが、あるんですけどね」と言う。そして男性が「いきなりですね」と返す。誰かを人質にでも取られていないとここまでの棒読みは出来ないであろうと思わせる凄まじさだ。というか、"アルバイトの条件"とは何か?非正規雇用でありながら企業に勤めているとかいう定義の事なのか?男性の「いきなりですね」というつっこみは正しい。ギャグの為にとある状況をメタ的に「いきなり」だと誇張している訳では無く、本当にいきなりなのだ。何故古本屋の店内放送でアルバイトという雇用形態が急に再定義され始めるのか?彼等の動機は一体?
次に女性が「福利厚生もしっかりしていて、交通費も出て、昇給もあって…」みたいな事を言う。正直、自分は毎回このあたりで気が遠くなり店内にブッ倒れて昏倒している為、ここから先が正確に思い出せないのだが、要は女性がアルバイトに望む条件を羅列しているのだ。つまり、「アルバイトの条件がある」とは、「私がアルバイトとして働く際に求める条件がある」という事なのだ。じゃあ、そう言えばいいじゃん!!なんでそんな抽象的に言ったのよ。「主語が大きい」という事態はよくあるが「主語が貧弱」という事態はあまり無いだろう。そしてその後「いや、そんな条件の良いバイト先は無いですよ」、みたいなつっこみをする男性を意にも介さずにバイト先に求める諸待遇を列挙し続ける女性に男性が「会話を、会話をしてくださいっ」と叫び、そしてブックオフでのアルバイトならばそれらの条件は全部揃ってます、みたいなナレーターが入って放送は終了する。したはずだ。
女性の言動に対して「いきなりですね」とあけすけに注意をし、欲望を暴走させる相手の挙動を遮り自らとの会話を懇願する男性は、女性のエネルギーを抑える事により対象を意のままに制御し、あわよくば性行(コミュニケーション)までをも目論む浅ましい欲望を戯画的に表したものだと考える事もできる。そう考えると、この漫才のキツさは、飲食店で飯食ってる時に隣のカップルの「セックスを、セックスをさせてくださいっ」「セックスを、セックスをしませんかっ」という懇願、願望が、暗に、しかし明確に見て取れる、地獄の様につまらない会話を強制的に聞かされる苦痛と同様の物なのかもしれない。
自分の妄想なのだが、あの店内放送は何らかの刑ではないかと思う。何か大きな罪を犯した男女にペラ紙の台本を渡し、この通りに漫才をしろ、我々はそれを録音してブックオフ池袋店で10年流す、お前達はそれほどの恥辱に耐えなければならない程の罪を犯したのだという宣告が罪人に対してなされたのではないだろうか。正直、自分があの漫才をやってる当事者だったら、確実にストレスで鬱病になっている。ブックオフの偉い人の所に直接赴いて、頼むからあの放送流すのやめて下さい、AIかなんかで新バージョン作ってそっちに差し替えて下さい、本来AIってこういう悲劇を失くす為に開発されたんじゃないんですかと泣きつくだろう。
いろいろと書いたが、まあ、ブックオフに行かない事くらいでここまで辛い気持ちになるとは思わなかった。仕事行って帰宅してCDを聴いて本を読むだけ。CDったって、自分が若かった頃のJポップとノイズと昔のヒップホップくらいか。チャラとかインキャパシタンツとかばっか聴いてます。あと、マリマリリズムキラーマシンガンのsince yesterday。公式であげられてないから音源のリンクは貼れませんが、5分53秒の方のバージョン。「私があなたの夢叶える 天使だったらいいのに」って、本当にその通りですよねとしか思えない。凄いよね。「天使だったらいいのに」っていう、全ては運次第なのだという諦念。ああいう感覚って今誰に受け継がれているんだろうか。
CHARA/HEAVEN
その様な気持ちでいるところにスティーブ・アルビニの訃報を知り、いよいよ心から打ちのめされてしまった。悲しいとしか言いようがない。自分が持っているアルビニが関わったCDは何があるだろうと考えたが、イン・ユーテロとジーザスリザードが数枚とあとビッグブラックが数枚、シェラックの犬のイラストがジャケのやつ、そのくらいか。そのくらいの人間でさえここまで悲しいのだから、本当にパンクやオルタナにのめり込んでいる人達が受けた喪失感はどれほどになるのだろう。分からない。自分が上に挙げたCDは誇張抜きで全て名盤だと思う。あと昔アルビニがプロデュースしたホワイトハウスの"thank your lucky stars"を持っていたが、何が面白いのかさっぱり分からずユニオンに売ってしまった。今聴いたらまた違う感想を持てるんだろう。ホワイトハウスのウィリアム・ベネット(今やってるのはカットハンズだけだったっけ?)がアルビニへの追悼文をインスタグラムにアップしているらしいが、自分はインスタグラムへどうやってログインすればいいのか分からないので未だにインスタグラムが見れない。「俺のおちんちんが燃えとるで!」みたいな曲を叫んでいた64歳よりも俺は情弱なのだ。悲しい。
自分の悲しさは「最近のロックとか何がいいのかよく分からないけど、俺は自分の青春時代の曲だけ聴いてるから別にいいもんね」と思っていたら、自分が好きなロックのパイオニア達が鬼籍に入り始めた、という残酷な事実に対する極めて自分勝手な悲しさでしかないのだが、それが分かっていてもなお落ち込んだ。アルビニがスマッシング・パンプキンズを悪し様に語っているインタビューがXで拡散され、「スマパンは歌詞がいいんだからいいじゃねえか」と思いながら日曜に「焼肉ライク」の前を歩いていた所、店内から「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が流れてたので立ち止まって聴いていたら、次にエアロスミスの「ジェイデッド」が流れ(その次にブラーの"boys&girls")「なるほど休日に一人で焼肉を食う様な寂しい人間が反応するポイントを心憎い程に押さえた選曲」と感心した。エアロスミスのジェイデッド(jaded 《形容詞》 疲れ切った 飽き飽きした)もスマパンの諸作品同様、本当にいい歌詞だ。いい歌詞の曲はいい。なぜなら歌詞がいいからだ。
Aerosmith/Jaded
スティーブ・アルビニが録音に関わった数枚のCDは、私を殺伐なVelvet Gloveへと誘ってくれた。R.I.P.
来週は佐藤紅緑の小説「ああ玉杯に花うけて」の感想を書くかもしれない。日本が真の理想に燃えていた頃の小説だ。ここ数日、本当にこの国はニヒリズムの極致に達したんだな、と思わされる事ばかりがあり、今自分が世直しとして出来る事は佐藤紅緑の小説の感想を書くくらいしかないかもと考えたからだ。今の日本は虚しすぎる。自分にはもう耐えられない。ま、とにかく来週もまたよろしくお願いします。寒暖差が激しいんで皆さんお身体に気をつけて下さいね。こりゃもう砂漠の気候だよ。ではまた!