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マツムラ


 「これを今週書こう」、と決めていたテーマ、それをどう書けばいいのか全く分からず「やはりこれはあと一週間考えよう」と思い直したのが、はや先程。つまりどういう状態かというと、一切何も書く事が決まっていないまま、己が謎の理由で定めたデッドラインだけが数時間後に迫っている、それが今だ。
 というか一週間が経つのが早すぎる。何をする暇も無い。取り敢えず思い付いた事をどんどん書いていきます。
 
 一つnoteで今後やろうかなと思ってた事があって、aikoの「ボーイフレンド」って曲で「あ〜 テトラポット登って〜」っていう有名な歌詞があるじゃないですか。こういう事何回も言って不快に感じる方も多いだろうけど、もう自分はプライベートで他人と円滑な関係を築く余裕を全く持てなくて、つまり恋愛をする資格が無いんですね。別にそれはいいんだけど、ただやっぱJ-POPに出てくるシチュエーションを諦めきれないんで、せめてテトラポットを登ろうと思ってたんですよ。その様子を写真に撮って「J-POPへの憧れを捨てきれない中年がテトラポット登った結果www」みたいなタイトルつけてnoteの記事にしようかなって。"結果www"って、何が起こる筈も無いんだが。仮に中年がテトラポット登っただけで面白い事が起こったら、それはヴァチカンの聖像から血の涙が噴き出した級の奇跡だよ。この世に属していい現象じゃない。ま、それはともかく、テトラポットの上で好きなaikoの曲(「二時頃」とか)を聴きながら泣いて最後に「自分は孤独だが、どこまでも続く海がそれを慰めてくれた。」とか書けばいいやと考えてたんですよ。もう自宅と職場と神保町と西部古書会館と新宿ブックオフの五箇所で完結してる人生にしみじみ嫌気が刺したんで旅行に出たかったんです。電車の中でテトラ繋がりでBUSH TETRAS聴こう、旅館に泊まって刺身食べようとか考えてました。非日常へと飛び立とう。古本買っても読む暇も無いし。当たり前だけど、英語の本を読むのに無茶苦茶時間がかかるんですよ。知らん単語ばっか出てくるし文法も訳分からんしで。

 昔ツイッターで見て心底驚いたんですが、「一日2時間位しか勉強しないで英語がわかるようになると思ってる奴等を○したい。考えが甘過ぎる。8時間は必要なのは体感で判る筈」みたいな書き込みがあって、それにどえらい数のいいねが付いてたんだけど、週五で働いとるおっさんが一日8時間勉強する方法って、もうタイムワープしか無いじゃないですか。「タイムワープできないおっさん達を殺したい」と言っとる訳ですよ、その人。凄くない?サイコスリラーとSFの結合。エリート至上主義の結末がこれですわ。ただ、一日8時間位の勉強が必要なのは本当にそうなんだろうと思います。2時間ですら勉強してないし。だから仕事をしたくない。勉強がしたい。もっとこの世と関係が無い本を沢山読みたい。叶わぬ夢だが。 
 
 で、まあ旅行に行こう、テトラポット登ろうと思ってたんですが、薄々勘付いてたのが「テトラポットって登っちゃいけないのではないか?」という事で、検索して調べたらやっぱ駄目だって。隙間に落ちてそのまま海流に呑み込まれて溺死したりするらしいですよ。正直ほっとしてますね。テトラポットは登れないよあれ中年には。登る事を断固拒否する形状をしとるじゃん。元祖排除アートみたいな風格を有してるじゃないですか。あれを何の気無しに登れるんなら、それはもう青春だよ。あと、SNSの自分のページにAmazonの欲しい物リストのリンクを貼れる行為、あれも青春です。「自分には、こんなリストを公開するだけの資格が本当に有るのか?」という逡巡が始まったら、それがその人のサラダデイズの終焉ですね。そこから始まるのは人生。
 青春時代の自分っていうのは、例えるなら超巨大テーマパークみたいなもんで、もう異世界なんですわ。己が異世界。毎晩毎晩己の中で花火が打ち上がるパレードが催されてる訳で、自分を他人にプレゼンするのも容易なんですよ、「見て下さい、あの綺麗な花火!信じられない…!」とか言って夜空を指差せばいいんだから。
 しかし、これが"青春"から"人生"になると、自分がグッとダウンサイジングされてしまう訳で、いつの間にか「超巨大テーマパーク」だった己が「市が惰性で運営している公民館サイズの民俗資料館」位に規模が縮小される訳で、かつて目を潤ませながら夜空を指差していたのと同じテンションで「見て下さい、あの衣装!当時の農民が実際に着ていた服です!信じられない…!」とか言わないといけなくなってくる訳です。単なる土から掘り返してきた布の前で。これは、何か対策を講じないと絶対に狂います。断言する。それで俺はいい歳してみっともなく勉強してるんだから。絵に描いた様な悪足掻きです。いんだよ別に。知るか。
 
 とにかく本を買っても読む時間が無い。どうにかしないといけない。さっき西部古書会館で俺が買った本見てくれ。


 陽気婢立ち読みして本当に泣いたよ。懐かし過ぎて。小学生の頃に皆で埋めたタイムカプセルかと思ったもん。「えっちーず」は読める。ただマルクスがどうとか資本主義がどうとかいう本は読む気力が無い。…いや、頑張って読むしか無い。

 あとnoteに配信の音楽サービス、という言い方で良いのか?それを貼る様になってからしみじみ思ったんですが、本当に…いろいろなバンドが配信されていますね。ノイズとかも。探してたダストブリーダーズの音源があって驚いた、というか唖然としたよ。音楽はとても不思議な存在になった。一昔前は物凄く価値の高い芸術として崇め奉れていたのに、今ではコンビニ袋に入れられて投げ売りされる様な対象と化した。誰が得しているのだろうか…?全然分からない。

DUSTBREEDERS @ DESTRUCTION PARTY V2

 

 で、昔noteに"松村邦洋の「マツムラ」を読んで発見があった"と書いた事があって、それについて適当に説明したいと思います。

 ○○(人)と✕✕(人)は似ている、みたいな言い方は本当に良くない、と自覚はしていて、でも言うんですが、昔バットホール・サーファーズのギビー・ヘインズと沢尻エリカって似てるな〜と思ってた時があって、二人とも狂おしいまでの上昇志向は感じるんですが、人選が独特じゃないですか、高城剛をパートナーにしたり、ジョニーデップとバンドを組んだり、アルバムのプロデューサーがキッドロックだったりして。で、二人とも顔を加工したがるんですよ。ギビー・ヘインズ・アンド・ヒズ・プロブレムのCDの中ジャケがギビー自身かメンバーかの顔をCGでメチャクチャにしたものなんですけど、それと沢尻エリカの写真集「100+1 ERIKAS」にはかなり近いバイブスが在る。何にでも扮する事が出来るという万能感と、どこにも行くことが出来ないという倦怠感が同居した感じが。これは何なんだろうと思いながら暮らしていたある日、「マツムラ」を古本屋で見つけたんで読んでみたら松村邦洋の顔がCGで加工されてるページがあったんで「これは!!!」と思って買ったんですよ。そしたらちゃんと読んで分かったのが、松村邦洋自身が積極的に自分の顔をCG加工した訳でなく、デザイナーか誰かが松村邦洋の顔にその様な変形を施した、という事で、「ああ…なるほど」となったんですが、つまり自分の顔を加工したがる人って、その人の中にマツムラ的な別人格が居て、他方に自身のマツムラ性をどれだけナメてもいいと思っているプロデューサー的な人格があるのではないかと思います。結局その個人の中で社会が完結してるっちゃしてるので、その外界との交流も一般人にとっては独特に見える物になるのではないでしょうか…最後に私の好きなバットホール・サーファーズの曲、「ドラキュラ・フロム・ヒューストン」を貼ってこの文を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました!来週もよろしくお願いします!

Dracula From Houston/BUTTHOLE SURFERS


 あとnote様、10周年おめでとうございます!!なんか文章の仕事下さい!note執筆者が選ぶ悲惨な小説100選とか!!!!!!!金くれ!!!!!

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