やればできる。

●自分にできないこと(指示、指導、やればできるの弊害)諦めないことの弊害について。

借金玉さん著の
「発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術」
「発達障害サバイバルガイド 「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47」
ADHD界隈でも有名で、私も拝読させていただきました。
苦労された点や障害持ちのあるあるが沢山書かれていて、ヒントとなることがいくつも散見されました。著者の症例に当てはめた場合の対処方法や考え方は非常に参考になります。

著書内に、「できないことと、できることを理解する」といった趣旨の項目があり、これは自分にとってはどういうことだろうと考えてみました。

まず最初にこれを考えた時、就職するときの自己分析シートを思い出しました。懐かしいですね。ただ当時(今も?)の自己分析シートは考え方として「嘘ではないが、限りなく嘘に近い事実の誇張」がほとんどでした。
社会人になって改めて思いますが、いままで感じてきた本音と建前の悪い部分がここに凝縮されていると思います。日本人の悪いところだと思います。
自分自身を苦しめる根源で、いわゆる踏み絵とも言えます。そこにはキリストではなく、自分が写っているはずです。ほとんどの人が割り切ってこの通過儀礼をこなしてきたかと思います。

 ただ、当時は何もわかっていない学生で、できないことしか無いのでこれを受け入れたフリをして進めるしかありません。そして現在、社会人を20余年やってきて、改めて思う、「これはできる・できない」についてですが、たしかに学生時代よりは見えているように思います。なんとなく避けてきたあの業務、変なところで心配する同僚、妙なタイミングで湧き上がる不安感、おそらくそこら辺が答えなのでしょうか。自分の場合は数字を取り扱うルーチン業務や計画の立案進捗状況確認などがそれに当たります。役職者には向きませんね(笑)。反対に皆が毛嫌いするマニュアルの作成や長大なマニュアル・法規書の読み込みとアラ探し・プレゼン資料の作成などはなんとも思いません。
 
 あとは決定的に言えるのは指示・指導・注意・叱りなど管理職に求められる態度が表現できません。これもそろそろ陳腐化してきていますね。自分の障害特性が年齢とともに「見える化」したのはこのためではないだろうかとも思います。相手に強いプレッシャーをかけ指揮下に置いたり、取引先との交渉時に強く出ることは非常に苦手です。

 「やればできる」と学校の先生、両親、友人、先輩、上司どんな立場の人にも言われました。肝心なときには必ずこの言葉が出てきます。どこかのお笑い芸人も言っていますね(笑)。この言葉は好きでも嫌いでもありませんが、私が思うのはこの言葉には「失敗しても大丈夫だよ(君に責任はないよ、大丈夫だよ)」が欠けています。とにかくやってみて失敗したら次に行こう!です。むしろこちらの方を前に出す方が重要だと言えます。そして社会にでると、この欠けた言葉が明確に無くなります。つまり自己責任です。上司すら逃げ始めます。梯子を外します、告げ口します。本当にこんなマンガみたいに豹変する人いるんだ・・・と思ったことが何度もあります。こういうことがあると、余計に立ち直れません。周囲全員が、そういう人間に見え、認知の歪みが激しくなります。

 梯子を外されないように色々と外堀を埋め、逃げられないように防衛線を貼りますが、相手もバカではありません。いつのまにか「なかったこと」にします。やらなくていいよと。このことがわかってしまっても認知が歪みます。「あぁ、この人、全部責任押し付けるつもりだったんだなぁ・・・」と。
しかも障害特有の頑固さやあきらめの悪さから、「やらなかったこと」に対する負い目がムクムクと育ちます。
コミュニケーションを密に取れば防げるし、相手が悪意を持っているのかがわかればいいですけどね・・・

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