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マイクラが育んだ私たち家族の絆

■つっつ君とマイクラとの出会い

 私とその息子であるつっつ君がマイクラと出会ったのは、つっつ君がまだ歩き始めたくらいの小さな頃の話です。
 オタク友達が「1週間で100万ダウンロードを達成したすごいゲームがある!」と勧められたのが全ての始まりでした。
 無限に続くブロックの世界は幼い頃にブロック遊びに興じていた私にとって夢のような世界であり、また、小脇に抱えた小さな息子と将来このゲームで一緒に遊ぶことが出来たならどんなに面白いだろうとワクワクしながらプレイしていたのを今でも覚えています。
 しかし、このワクワクは意外にも早く実現することとなります。
 2012年当時、スマホアプリとしてPE版、現在のBedrock Editionがすでに配信されていたのですが、このPE版で地下大帝国を築いていた私のワールドを勝手に起動し破壊の限りを尽くされ、これは困るとiPadと共にマインクラフトを買い与えたのがつっつ君2歳の時のことです。
 その頃のマイクラのブロック数は今に比べるとずいぶん種類が乏しいものでしたが、操作方法は2歳児にとっても分かりやすく、またすでにマルチプレイというものがあったので、私とおかあさんとつっつ君と布団の上で寝転がりながらひとつのワールドで仲良く遊ぶことができたのです。

■つっつ君とYouTube

 3歳にもなると操作にも慣れ、マイクラが大好きなつっつ君は周りの先生やお友達にもその話題を積極的に持ちかけるようになりました。
 ところが先生やお友達にはマイクラの話が全く伝わりません。
 今でこそ世界中で抜群の知名度を持つマイクラですが、2013年の当時はまだ子どものプレイヤーが少なく、未就学児のプレイヤーに至ってはほぼ皆無だったのです。
 つっつ君は、周りの人と共有したくなるほど熱心な趣味に出会うことが出来た一方で、身近な人々との関心のギャップに直面することになります。
 『ぼくはこんなにマイクラが大好きでみんなとお話をしたいのに、なんでみんなはマイクラを知らないんだろう。どうしたらいいんだろう?』
 その気持ちを割り切ることができず、つっつ君は幼い心を悩ませるようになります。
 そして、その悩みを解消したのはYouTubeでした。
 YouTubeではマイクラの実況動画が数多く配信され、多人数でワイワイと遊んでいたり、大きな建造物を紹介している動画を発見したつっつ君は驚き、まさに衝撃的なものとなりました。
 その日からつっつ君は、iPadでマイクラを操作しながらYouTubeの実況動画を真似て、架空の視聴者に向けて話しかけるようになりました。
 もちろんそれはインターネットを通じて配信されてはおらず、ひとり遊びの延長線上です。
 3歳のつっつ君がインターネットや動画配信の概念を理解しているわけもなく、実況動画を見ては、大急ぎで自分のワールドを開くことがよくありました。
 『今すぐワールドを開けば皆に合流できる』そう思っていたのです。
 でもつっつ君のオフラインのワールドは、何度開いてもひとりぼっちで、どんなに遠くまで探しに行っても誰もいません。
 『みんなはつっつと同じマインクラフトの世界にいるのに、みんなは一緒に遊んでいるのに、なんでぼくだけひとりなの』
 そう涙をこぼすことが何度もありました。
 仕方がないので、つっつ君は1人で実況風のおしゃべりをしていました。
 その姿は『こうしてiPadの前で話せば(仕組みはよく分からないけれど)きっとみんなと同じようにどこかの誰かに届くはず』そんな風に考えていたようにも思います。
 つっつ君はYouTubeの中でマイクラ仲間を見つけた事を心から喜びつつも、その仲間達と何とかコミュニケーションを取りたいと望み、誰かに向けて一生懸命発信しようと努力していることは明らかでした。
 その様子を見た私は、『どのみち発信をしようとしているならば、架空の視聴者ではなく、実際の視聴者に向けて話しかけた方がつっつ君にとっても良いのではないか?そしてそこから得られるコミュニケーションは、子どもの成長にもつながるのではないか?』
 そうした思いに至り、4才の誕生日プレゼントにつっつ君が自分のプレイを発表する場としてYouTubeチャンネルを開設したのが、「つっつクラフト」という名の私たち親子のマイクラ活動の始まりとなりました。

■つっつクラフトでの貴重な経験

 つっつ君はまず、私と一緒にマルチプレイをしながら実況に挑戦していきました。
 最初は「きのこを食べなくちゃ、パクパクパクパク」など、今やっている事を素朴に言葉で表現することから始まりました。
 3ヶ月後には、つっつ君が自分で作ったものを「看板(に書いた文字)は、“扉は気をつけてね”なの」と説明するなど、自分で作ったものを紹介する積極性が見られるようになりました。
 そして6ヶ月後には「みんなで畑に乗って、ご視聴ありがとうございましたって言うの」などと、見る人を意識したおしゃべりができるようになりました。
 実況を始めた当初はたどたどしかったおしゃべりが、マイクラ実況に取り組んだ6ヶ月の間にめきめきと上達していったのです。
 また、つっつクラフトの視聴者の中にはコメントをくれる人たちがたくさんいました。
 コメントをもらったつっつ君はとても喜んでコメントを返し、さらに気合いを入れて実況に取り組むようになりました。
 それはつっつ君の心の中に自信を育み、コミュニケーション力を飛躍的に伸ばすことにつながりました。
 これはお家の中で私やおかあさんとおしゃべりしているだけではおそらく達成できなかったことです。
 家族ではない、外の人に評価されるからこそ、つっつ君は誇りと喜びを感じて発信を続ける事ができました。
 この、「発信する→外部の視聴者に評価される→モチベーションが上がる→そしてまた発信する」という学習のサイクルが自然と出来上がったことはとても恵まれたことであり、YouTubeで動画を配信することで得られた貴重な経験となりました。

■リアルクラフトという体験学習

 また、つっつクラフトでは「目指せスティーブ!リアルクラフト」という、マインクラフト内のアイテムを実際に作ってみるという体験も行ないました。
 マイクラでは、牛乳3つ、砂糖2つ、卵1つ、小麦3つを集めてボタンを押すとケーキになります。
 ゲームの世界ではボタンひとつで作れてしまいますが、それを現実世界で作ってみるのはかなり大変です。
 小麦の穂から取り出した実を石臼で挽いて小麦粉にするところから始まり、牛乳瓶3本を勢いよく振ることで油分を分離させ白いクリーム部分を再現していきます。
 その他にも、畑でジャガイモを育ててかまどで焼いて食べたり、大自然の中で羊の毛を刈って羊毛ブロックを作ったり、巨大なカボチャをくり抜いてジャックオランタンを作ってみたり、さらにはサバンナ地帯を実感するためにケニアまで行って野生動物の生の姿も体験しています。
 味や大きさなど実際に作ってみることで発見できること、刃物や動物の危険性、広々とした草原だからこそ目にすることが出来るものなど、マイクラをきっかけに実際の世界で体験することを楽しんでいます。
 そのような活動をしていると、「これはモンテッソーリ教育ですか?」と質問する方がいらっしゃいます。
 まさにその通りです。
 私たち夫婦はこのマイクラというゲームがゲームと呼ぶにはあまりにも深く、ゲームの垣根を超えて子ども達の「学び」につながるのではないかと考えていたのです。
 特に、五感に訴えかけ、自由な環境の中で子どもの「やってみたい」という自発性を尊重するモンテッソーリ教育との相性が良いと感じています。
 マイクラにはゲームをクリアするという概念がなく、終わりがありません。
 その世界で何をするのか、何をして楽しむのかは、プレイヤー次第という主体性に委ねられたゲームです。
 クリエイティブモードで制限もなくブロック遊びの延長線上として遊ぶも良し、サバイバルモードで木を伐採し岩を採掘し計画を立てながら建築や冒険するのも良し、レッドストーンと呼ばれる回路を作るブロックで様々なギミックを作るのも良し、自由な環境の中で「やってみたい」という自発性がゲームを面白いものにします。
 そもそもマイクラは子ども専用に作られたゲームではなく、大人が遊んで楽しいゲームだからこそ、子どもの発達状況に応じて遊び方を変化させていくことができる懐の大きいゲームです。
 例えば、つっつ君が作った世界を歩かせてもらうだけで、「オブジェ作り(色・形への興味)→トロッコ遊び(動きへの興味)→街作り(住環境への興味)→ゲームフィールド作り(他のプレイヤーとの交流への興味)」と、つっつ君の興味が移り変わっていく様子がよく分かります。
 そして、ゲームだからこそ、そこそこ簡略化されていてそこそこリアルに近いという、子どもの興味のきっかけになりやすく、親が物事への深い理解を促しやすくあるため、私たちはマイクラで遊ばせると同時にリアルクラフトという形で五感に訴えかける学習環境を効率的に与えることができたのです。

■つっつ君とイベント

 YouTubeチャンネル「つっつクラフト」の活動を始めて数ヶ月。
 その頃のつっつ君は情報発信を楽しみつつも心の中にどこかさびしさを抱えていました。
 いつも顔を合わせるお友達の中にマイクラを知っている子は1人もいなかったからです。
 みんなが夢中になっているのはプリキュアや仮面ライダーでした。
 唯一マイクラの会話をしてくれるYouTubeチャンネルの視聴者の存在をとても大切に思いつつも、つっつ君のワールドの中に遊びに来てくれることも実際に会うこともない状況に、『誰かと一緒にマイクラで遊びたい……』と、つっつ君は静かにその想いを募らせていきました。
 そんな2015年、マイクラは一大ブームを引き起こしていました。
 スマートフォンで遊べるPE版、PlayStation Vitaで遊べるPS Vita版が子ども達の間で浸透し、企業や民間が数多くのマイクライベントを開催し、メーカーとユーザーが一緒になって一連のカルチャーを作り上げていた年でもありました。
 私はつっつ君をこのイベントに連れて行くことにしました。
 会場にたどり着いた時、そこに集まる多くのマイクラファンが居たことにつっつ君はとても喜びました。
 『みんな、こんなところにいたんだ! つっつはひとりじゃなかったんだ!』
 つっつ君はずっとその場に座り、みんなのプレイしている姿を熱心に見ていました。
 つっつ君は当時4歳、子どもが多かったとはいえ一際幼いつっつ君はみなに歓迎され、なんと、つっつ君は壇上に上がって実際にマイクラをプレイすることとなりました。
 『誰かと一緒にマイクラで遊びたい』その願いが初めて満たされた瞬間でした。
 それからというもの、つっつ君はマイクラのイベントに向かう時には自分で作った名刺を何枚か持って、とても誇らしげに出かけて行きます。
 決して親である私がつっつクラフトを宣伝し、つっつ君を売り込もうとしているわけではありません。
 マイクラを実況していた大人の方が、つっつ君を一人のマインクラフターとして対等に名刺を渡してくれたことがきっかけとなり、大人社会の付き合い方というものをつっつ君が肌で感じたからです。
 そこには『僕もまたマイクラを盛り上げていく一人なんだ』という誇りが込められています。
 ただ情報を享受するだけの子どもではなく、自分が一人のクリエイターとしてイベントに参加しているという実感は、つっつ君の社会性に大きな変化を与えました。
 それはとても重要なことです。
 私たちは「人は常に三つの居場所が必要である」と考えています。
 第一は安らぎの得られる家庭。
 第二は苦楽を共にする級友たちとの学校。
 そしてもうひとつ、自分の好きなことで評価されたり自信を持つことが出来る第三のコミュニティを持たなければ生きていけません。
 それは子どもが学校を卒業し、大人になってもです。
 私たちはつっつ君を褒め、安らぎの得られる家庭を作るために努力をしています。
 しかし、どんなに優しい親であっても子どもに対し躾はしなければなりませんし、その躾も度が過ぎれば安らぎは得られません。
 そして誰もがいつかは思春期を迎え、親に反目し家に居づらくなる日が来るのは避けられません。
 そんな時、心の支えとなるのは学校で作る同年代の友人です。
 同じ時代に生き、同じ目線で悩みを相談し合う、そんな友達が作れれば親では決して成し得ない心の成長となることでしょう。
 しかし、学校という閉鎖空間は時にイジメという形で牙を剥くこともありますし、そもそもが勉強をする場所なので、不得意なものにつまづき自信がなくなってしまうこともあるでしょう。
 産まれ持った家庭は変えることが出来ません。
 小学校や中学校は義務教育でありますし、自分に合わなかったからといって勝手にやめたり簡単に転校することは出来ません。
 それは高校でも大学でも会社でも、義務であろうとなかろうと、環境を大きく変えることは大人にだって難しいことです。
 だからこそ、自分の好きなことで自信が持てる居心地の良い第三のコミュニティが人には必要だと私たちは考えているのです。
 その第三のコミュニティがマイクライベントを通してつっつ君の回りを形成していったことは、つっつ君の心に揺らぎない自尊心が芽生えたきっかけとなったのです。

■おかあさんの遺したもの

 突然、本当に突然だったのです。
 2017年9月某日、つっつ君のおかあさんは若くして永眠いたしました。
 病院で死亡を告げられ、おかあさんのいない家に帰ってきた時、おろおろと情けない姿をしていた私とは反対に、つっつ君はいつものように自分のノートパソコンを開いてマイクラを始めました。もくもくと、もくもくと……。
 それは第三者から見れば異様な光景で不謹慎な行動かも知れません。
 けれど、もしつっつ君が泣き叫んでいたら私は狂乱していたことでしょう。
 それを察していたのかつっつ君はそうしなかった。
 自分の心を落ち着かせるものが既に「親の温もり」から「マイクラ」へと変わっていたのです。
 決してつっつ君は幼い頃におかあさんを亡くした可哀想な子ではありません。
 一生分以上の母の愛を受けて育ち、マイクラを通じてたくさんの友達や応援してくれている人を得て、今に至ります。
 そして、この文章もまた「マイクラでこんな学習ができるんだよ」という、マイクラにハマった子を持つ親のためにおかあさんがブログで連載をしようとしていた草稿をもとに書き綴っているのです。
 私たち家族にとって、マイクラはただのゲームではありません。
 もちろんつっつ君にとっては人生の大半を占める、なくてはならないものでもあります。
 そんな子を持つ私が1人の親としてお伝えできるのは、マイクラを媒介におとうさんおかあさんと試行錯誤しながら過ごした2歳から7歳のつっつ君の幼少期はとても豊かな時間だったということです。
 そして、今でも変わらずつっつ君と私はマイクラを通して親子で楽しく遊び続けています。
 それは私たち夫婦が考えた教育方針でもあります。
 親の使命は完璧な教育をもって完璧な子どもを作ることではありません。
 子どもにとって幸せな環境を作ってあげることです。
 子どもの変化に怯えず、観察し、「好きなことを存分にやらせてあげれば、遊びであってもそれは学びとなる」ということをマイクラは教えてくれました。
 例えどんなに高価な知育玩具を揃えても子どもに興味がなければなんの学びにも繋がらないように、興味こそが子どもの学習意欲を高めるきっかけであり、それが親子共通の話題になったならこれ以上素晴らしいことはありません。
 マインクラフトというゲームは、学びを引き出すきっかけであり、親子一緒になって楽しく遊ぶことのできる最良のコミュニケーションツールであり、それと同時に私たち家族の「絆」でもあるのです。

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