音楽のルーツを辿ること (2)
前回の投稿から2週間以上経ってしまいました。
音楽のルーツを遡るということについて思ったところがあり書き始めた記事でしたが、僕が'60〜70年代の音楽を好むようになった経緯について話したところで終わってしまっていました。
今回は、その続きです。
僕も13歳から14歳の頃は、今で言うJ-POPのアーティストが大好きでした。しかし同時に、「彼らはどこから来たのだろう」と思うようになりました。音楽雑誌(当時は「GB」誌を購読していました)で彼らが語る、ビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリン、ボブ・ディランやジャニス・ジョプリンという名前を覚えていきました。
そした前回の記事でお話したような経緯で、'60年代の音楽に触れるようになりました。そこにはまったく別の世界が広まっていて、僕は同時代の音楽よりもそちらの方に夢中になっていきました。
その後、20代前半はさまざまな書籍をあたり、今で言うところの「ルーツ・ロック」「クラシック・ロック」と呼ばれるジャンルの音楽をさらに知りました。インターネットで何でも知ることができる世の中は、まだほんの少し先のことでした。
おそらくその頃の僕は、「よりプリミティブな魅力」を感じていたのだと思います。
では、音楽好きの人はすべからく「好きな音楽のルーツを辿らなくてはいけない」のでしょうか。
僕は、そうは思いません。
実を言うと、若い頃はそう考えていたこともありました。でもそれは今にして思うと、自分の姿勢について自画自賛しているに過ぎなかったと面映ゆくなります。
でも「聴かなくてはいけない」と語り出すのはただの教養主義だし、ポップ・ミュージック的ではないですよね。
実際僕も20歳の頃、キース・リチャーズが称賛しているからとロバート・ジョンソンの音源を聴いてみました。素晴らしいとは思いましたが、ローリング・ストーンズを聴いたときほどの感動は覚えませんでした(すみません)。ジョン・レノンは「エルヴィスが最高の存在」と言っていますが、僕はエルヴィス・プレスリーよりビートルズを聴いています(またまたすみません)。
そんな自分ですので、「ルーツを聴かなくてはダメだ」という言い方にあまり意味があるとは思えないのです。
むしろ、デジタル技術によって音源の保存・復元技術が進歩していく現在では、「聴き手にとってはすべてがリアルタイムの音楽」でも良いのではないかと思います。
ある日、テレビやネットから流れてきた音楽に恋してしまった。それがたまたま60年前の音楽で、とっくに活動していないどころか亡くなったメンバーもいるようなバンドであっても、その音楽との出会いはまさにリアリタイムの出来事です。
15年ほど前にやっていたバンドのみんなで、とあるセッションバーに飲みに行きました。そのバーで僕はそのバンドのボーカリストと知り合い、バンドに誘ってもらったのでした。
マスターは酔っ払って、U2のライブについて熱く語っていました。僕もその意見自体は楽しく聞かせてもらっていたのですが、途中から「それに引き換え、今のバンドは……」というトーンになっていきました。
そこからは「今のバンドはここがダメ」という話の方が長くなって、聞いていてつらくなってしまいました。言わせてもらえば、僕も「今のバンド」の端くれのつもりだったからです。
バーからの帰り道、ついドラマーに「いやー平気な顔して聞いてたけど、ああいう話は悲しくなるよね」とこぼしてしまいました。
「え?いやいや、つっちーあの時、すげえ嫌そうな顔してたよ」
「ずっと?」
「うん、ずっと」
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