誤解を「ありがとう」にするまで
母の日に書いた手紙。
照れながら渡した手紙を読んだ母に、
私は目の前で泣かれたことがあります。
嬉しくてではなく、怒りがこぼれてしまったような顔で。
8歳の凍りついた私。
40年以上経った今も、反芻しては心が痛くなる苦い思い出です。
母の表情が変わっていく数秒間は永遠に続くように、
今もありありと思い浮かべることができます。
誤解が生まれたのはどこか。
なぜ誤解を生んでしまったのか。
誤解に気づいたとき、できることはあるのか。
そして、誤解は変えられるのか。
小さい私は