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今時珍しい?かもしれない自然分娩の話

2021年4月某日12時42分、自然分娩にて出産しました。出産予定日3日前でした。

初めての出産は文字通り想像を遥かに超えた体験(妊娠期間中のことについてはまた後日……)で、感じたこと考えたことがたっっっくさんありました。
これから出産を迎える人、妊娠を考える人にとってなにかしら参考になれば幸いです。

陣痛?前駆陣痛?はたまた食べ過ぎ?

出産予定日1週間前を切ったあたりから、いわゆる前駆陣痛(本陣痛の練習版のようなもの)と呼ばれるものであろう痛みが頻繁に起きるようになっていました。毎回「陣痛か…!」とドキドキし、「規則的じゃないから違うぽい〜びっくりした〜」と安堵し、いつかやってくる本番に向けて緊張感高まる日々を送っていました。

出産予定日を4日後に控え、妊婦健診に行きました。子宮口を確認した医師曰く「あと1週間以内ですかねぇ」とのこと、かつ、自分自身の感覚としても「予定日すぎるかもなぁ」という感じでした。(保活に大いに影響がある年度問題のため、4月2日を迎えるまで可能な限り動かないようにしていたので遅れるかもなと考えていました)

夜は近所に新しくできた卵と私というオムライス屋さんに行き、もう何度目かわからない最後の晩餐に満足したわたし。まだまだ最後の晩餐という名のおでかけができると思っていました。

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その日も深夜に痛みが襲いましたが、「またまた前駆陣痛だろうなぁ〜思わせぶりなやつめ〜」と余裕ぶっこいていました。※4月某日3時ごろ

しかし、1時間経っても痛みはおさまる気配がなく、かつ、痛みが継続しており、本陣痛の特徴と言われる波はないものの不安だったため病院に電話しました。「念のため波がないかタイマーはかってみてくださいね」と言われ、「継続して痛いんだから波なんてないんだよこんにゃろう……電話待たせる時間長いんだよくそう……」と正直怒っていたのはここだけの話です。


あれ、陣痛ぽい

継続している痛みに波なんてあったもんじゃないわと思いながらも波の合間に一発やってくる激痛と激痛の合間をはかったところ、なんと、約4分半。あれ、陣痛って10分間隔くらいになったら病院に行くんじゃなかったっけ……?時刻、4時30分。

ついに、やってきたらしい。ついに、覚悟を決めなければならないらしい。もう、逃げられない。

いろんな思いが一気にやってきて、どうしよう逃げたい、と正直、思いました。が、我が子の外に出たいというその欲求(=陣痛)に抗えるわけもなく、ぐっすり眠っている夫を起こし、「来たぽい」と告げると、「なんと!!ついに!!」と彼は遠足当日の朝のようなわくわくがいりまじった感じで飛び起きました。あれは面白かった。

入院セットと赤ちゃんグッズは事前にまとめており、また陣痛タクシーも登録していたため、満を持して出陣することができます。これに関しては早めに準備しておいてよかったです。おやつセットもかばんに詰めて、いざ、病院に向けて全軍、出陣……!(下記図は心のイメージ)

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しかし陣痛タクシーを登録しておいたにも関わらず、なぜか夫はJapan Taxiをのんびり新規登録してのんびりタクシーを呼んでいました。ほんの一瞬殺意を抱いたことをわたしは一生忘れないでしょう……。明確なガイジムーブです。出産のときに男はわけもわからずガイジムーブするという噂は本当でした。タクシーはすぐに来たものの想定より歩かされるし、ほんの5分ほどのはずのタクシー乗車時間もひどく長く感じました。


いざ、未知との遭遇へ

4月某日5時30分、病院に到着。コロナ禍のため家族の出産の立ち合いはできません。暗い廊下に夫を残し、診察室に入りました。

子宮口は3cmほどだが膜の薄さは70%ほど進んでいる(なんのことかいまだにわかってません!)ので本日中に生まれるだろうということになり、入院が決まりました。

4時頃から陣痛間隔をカウントし始めたので、わたしのお産開始時刻は4月某日時となりました。ここで夫とはお別れ。

今生の別になるかもしれないと思い夫の姿が見えなくなるまで何度も振り返り手を振り(最悪のシチュエーションを考えるのはわたしの習慣です)、暗い廊下にひとり残される夫が逆にかわいそうにも滑稽にも見えたのをよく覚えています。

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夫の姿が見えなくなり、ひとり、LDR(陣痛 Labor、分娩Delivery、回復Recoveryの頭文字。入院から、陣痛・分娩・破水までをLDR室という同じ部屋で過ごす)へ。時刻、6時。すこし外が明るくなってきていました。

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生命をつなぐ、ということの過酷さ

わたしの追い込まれ具合がわかる証拠をご覧いただきます。夫とやり取りしている時刻にご注目。

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夫はテレワーク中、どんな気持ちだったんでしょう……。妻からの連絡が途切れること2時間以上経っていたわけです。

うっすら残っている記憶を辿って時系列に経過を記します。ベッドから見えるところに時計がなく、こまめに時間を確認できなかったのは痛恨の極み……。要所要所で力を振り絞ってベッドの後ろにある時計を確認したわたしの努力をここに記しておきます。


6時 子宮口3cm

病院到着時。まだ会話もしっかりできる状態でした。用意しておいたペットボトルにストローを刺す余裕もなく水分補給もできず、痛みの和らぐ姿勢もわからず、ひとり、痛みとの闘いが始まりました。ナースコールで人を呼ばない限り(呼んでも来なかったが)広い部屋で、たったひとりの闘いでした。

8時を過ぎてからでしょうか。急に痛みが一段上がり、上記LINEの通り出血、吐くという流れに。この時点で魂抜けるLINEスタンプを使ったところを見るとすでに疲れています。それまではバッハのチェロ無伴奏を聴く余裕があったのですが、以降は耳に入れるのもつらく、自ら無音状態にしました。この時点でもう、「次がもしあったら絶対無痛一択」ということしか頭にありませんでした。(選んだ産院は初産婦は無痛NGでした)

ここからは一気に進みました。波の最高地点では文字通り発狂し(個室だったので遠慮なく叫びました)、波がかろうじて抑えめな時は無の心にすべく主の祈りをひたすら唱え、創造主はなぜ人間の出産に痛みを伴う設計にしたのかなぜそれでも人間は生命を繋いできたのか思考を巡らせて気を紛らわせていました。※キリスト教徒ではありませんが、キリスト教中高での教育の影響多少あり


11時30分 子宮口7cm

想像を遥かに超えた痛みがきて、おかしい!もう無理!波さえないじゃん!!!状態だったのでさすがにナースコールを押し、押しても誰も来ず、しつこく押し、ようやくやってきた医師らが確認したところ子宮口は7cmに。夕方くらいかもと言われていたお産でしたが、この時点で14時くらいかもしれないと言われました。ここでのわたしの返答。「まだそんなにかかるんですか……」

医師らは笑顔で「ここまで自分の力だけでお産をスムーズに進められてるのはすごいですよ!あと少しですよ!」とそれまでに何度も聞いた言葉でわたしを励まし(励まされてはいない)去っていきました。


12時15分 子宮口9cm

激痛(さっきから激痛激痛と書いてますが、激痛という言葉では足りないのが正直なところです)が続く中、なんか、出た、という感覚があり、ナースコールを押し、押しまくり、非常事態だということが伝わるようにしてようやく医師らが確認したところ、子宮口9cm。

ここで急に場の雰囲気が変わったのを鮮明に覚えています。あ、きたな、と思いました。「産みましょう」と言われました。

この時気になっていたのは、医師らがさっきまで内診に来ていたメンバーと違ったことです。真っ最中に理由を聞く余裕はなかったので終わった後に確認したのですが、その時、わたしと同時に経産婦さんがおひとりお産を進めている最中で、通常は経産婦さんの方が進みが早いからそちらを対応していたようです。(そのせいでナースコール押しても誰も来なかった……)実際終わってみると、わたしの方が早く終わったので驚いてらっしゃいましたが……。

一気に準備が進みました。天井にあった謎のふたつの区画は回転し始め手術台の上についているようなライトに変身し、分娩台もいきめるよう両脚は広げられ股の下の台はなくなりいきむために両脇にバーが出現しました。トランスフォーマーやん!とひとりでつっこんでました。どこか冷静な自分がいるのかおかしかった。人はみな心の中にリトル本田を飼っているといいますが、わたしの中にもいることがわかりました。

そこからはあっという間でした。

噂に聞いていた「まだいきんじゃだめだよ〜」を何度か耳にしたあと(いきまずに深呼吸するのは難易度高すぎですふつーに無理)、「よし、いきますよ!」と声をかけられました。

「思いっきり吐いて、吸ったら息を止めて、声は出さずに脚を踏ん張ってレバーを引っ張り上げる感じでいきみましょう!」と言われました。注文が、多い。よくわかんないけど便が出ないときにきばる感じよね!と想像。初心者ですがやるしかない。


1度目のいきみ。かすかに声がどうしても漏れてしまう。

2度目。次で決めますよ!と言われ呼吸を落ち着かせてからいざいきむと股に生温かい何かを感じました。

3度目。これが最後ね!と言われて思いっきり、我慢して我慢していきんで、にゅるんと股を何かが通っていくのがわかりました。と同時にお腹が急に軽くなり、あ、出たんだなとわかりました。一呼吸おいてから、我が子の産声が耳に入りました。


やっと会えた我が子

トツキトオカ、わたしのお腹にいた未確認生命物体は、思いっきり空気を吸い、産声をあげ、誕生しました。4月某日12時42分。お産開始から7時間42分が経過していました。

なんと表現したらいいのか、不思議な心地でした。それまでぱんぱんだったお腹は柔らかくなっており、胎動でしかその存在を確かめられず不安さえ抱いたその生命物体がわたしの隣にいる。我が子、なのか。わたしとわたしが大好きな夫との子。わたしが産んだのか。人類はこうやって命を繋いできたのか。激痛と表現するのでは足りないこんなことを、女性は、なぜ。産めよ増やせよと言われたって簡単にできるものじゃない。のになぜ。

これまでの妊娠期間のことから生命の神秘、人類の歴史、ありとあらゆることが頭の中で駆け巡っていました

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胎盤を出して、いつのまにか切られていた会陰の縫合が進む中、自分も少し落ち着いて、夫に連絡する気力が少し戻り(可能なら誰かに出産直前から電話して繋げて欲しいくらいでしたが頼む余裕はなく……)、夫に電話しました。出産から10分後。12時52分。

タイミングのいいことに夫が電話に出るタイミングまた泣き始めた我が子。何も言わなくとも電話がつながった瞬間、「あれ!?産まれたの!うおおおお!????」と夫。彼は今どんな表情をしているんだろう、どんな気持ちなんだろう、と想像しながら「産まれたよ」と報告すると、夫は「すぐに行く」と駆けつけてくれることになりました。


ここは夫から聞いた話ですが、夫は電話から10分ほどで病室の前にたどり着いたにもかかわらずコロナ禍で面会が制限されている影響もあり、1時間ほど待合室で待つ必要があったそうです。多くの病院でコロナの影響で立ち合い・面会等ができない中、面会できるよう整えてくださった病院には大変感謝しております。


というわけで、出産から約1時間後には、夫婦そろって我が子を囲むことができました。ふたりで目に涙を浮かべながら感慨に耽り、交互に我が子を抱き、今日までの感謝を伝え合いました。安堵して、ほっとして、最初に気づいたことは「お腹減った」、だったことには自分でも驚きました。その場にいた夫、医師助産師ら大爆笑。仕方ないです。いかなる時も空腹では戦えませぬ。

その場でお互いの親にテレビ電話で報告したり、お互い共有できていなかった状況や感情の共有をしました。今まで見たことのない、夫の、とてもあたたかい表情を、わたしは忘れられません。最初は少し遠くから我が子を見守っていた彼が、少しずつ我が子に近づき、ずっっとにこにこしながら我が子を見つめ、抱っこし、話しかけ、喜んでいるのが全身から溢れ出ていたあの光景を、わたしは絶対に忘れません。

その時、わたしは、出産後初めて涙を流しました。これまで感じたことのないとてもあたたかな幸福感に包まれていることに気づいたのです。

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総括

というわけで自然分娩で出産しました。

多少早まったもののほぼ予定日(39w4d)であり、出産時間も予定時間を大幅に前倒し、陣痛所要時間は7時間42分でした。初産婦は無痛分娩が選択できない病院だったため強制的に自然分娩になりましたが、文字通り発狂する体験でしたので、無痛分娩が選択できる場合は絶対に無痛にしたほうがいい、とだけ主張したい。

産後ハイの変なテンションでノートを書き上げてしまったような気がします。が、この生涯忘れたくない体験をどこかに残したい気持ちが強かったため、書き上げました。

暇があれば、産院のレポと妊娠期間中の記録もつけたいと思います。


それではまた湾岸の街でお会いしましょう🐧