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人との関わり方について考え直している話

中高時代、一番好きな授業は聖書だった。
キリスト教の学校だったから設けられていたのであろう聖書という教科であった(と記憶している)が、中身はキリスト教に限らず、いわゆる倫理だった。
45分だか50分の間、先生の言葉を通して知る先人たちの考え方・ものの見方は10代のわたしにとって何もかもが新鮮で、ワクワクした。そして、自分が感じていたけれども言葉にできなかったことにぴったりな表現に出会うたび、「これを思いついた人はどんなふうに考えたんだろう、言葉を探し当てる作業をしていたんだろう…」と想像したものだ。

社会人のいま、よくこの授業の時のことを思い出す。
思い出すたび、考え方・ものの見方は実に多様で、人がいればその数だけあっておかしくなくて、自分と全く同じ考え方をする人なんて存在しないのだと、改めて確認するのだ。みんな同じじゃなくて当然、自分がおかしい?なんてことないんだよ。

「タブラ=ラサ(心は白紙)」
「コギト、エルゴ スム(我思う、故に我あり)」
「満足した豚よりも不満足な人間の方がよく、満足した愚か者よりも不満足なソクラテスの方がよい」

わたしの心を、言葉を豊かにしてくれたあの時間。あの時間があるからこそ、いろいろな人と出会っても、最初から「No!」とつきつけずに関われていたし、むしろ違うからこそ新しい発見があった。だが、いつからか、「自分とは違う人」と関わることに使われるエネルギーが膨れ上がりすぎてしまって、疲れてしまった。

好きな人とだけ関わる。そうできたらどんなに楽だろう。
でも、それでいいのかな。そもそもそれって不可能に近い。
結論はまだ出ていないけれど、エネルギーをプラスに持っていける方法を見つけたいと今は思う。

みなさんは人との関わり方、どうしていますか?