2020年 F1シュタイアーマルクGP 「その走りに僕らは微笑む」

無理にでも笑おう。そう決めた。
つらいことがあっても、無理にでも笑おう。そうすれば未来はきっと拓ける。
つらいのは、未だ収束が見えない新型ウィルスでも、絶望的な人種差別問題でもない。自由が奪われつつある香港のことでもない。
2020年のF1第2戦 シュタイアーマルクGPのお話だ。

新型ウィルスの影響をうけたグランプリは史上初の同一サーキット二連戦をイベントカレンダーに組み込んだ。
すなわち、開幕戦を行ったオーストリア レッドブルリンクで1週間をおいてもうワンラウンドの開催である。
“サーカス”とも呼ばれるF1グランプリの一行が移動することを抑えることで、ウィルス感染のリスクを低減させようというのが狙いだ。
チームとしては1週間前のデータがそのまま使えるので、より洗練されたセットアップでレースに臨める。ドライバーにしても然りだ。
逆に言うと、真の実力は同一トラックで行われるこのイベントで見ることができると言えよう。
開幕戦は荒れに荒れたサバイバルレースとなってしまい、一部を除いて各チームとドライバーのポテンシャルが見えにくかったのも事実。
同じ環境でデータが豊富になった状況でこそ、マシンのもつ潜在能力を解き放つことができる。
最適化されたレッドブル、フェラーリがどこまでメルセデスに迫れるか、ここがこのグランプリの希望だった。

だが、希望はあっけなく潰された。
フェラーリは前戦同様にボロボロだった。予選からしてまったく前にいけない。
挙げ句の果てには同士討ちでジ・エンド。
フェラーリPUのユーザーがそもそも遅い。昨年グランプリをざわつかせたフェラーリユニットに関する疑惑が真実味を帯びる、そんな結果だ。
現状のマシン開発に関する規定だとフェラーリがここから躍進するのは、絶望的とすら感じる。完全に勝負権を失ったと言える。
こうなるとレッドブルに期待をしたくなるが、こちらも今ひとつ。
マシンが神経質な挙動を示しており、天才肌のヴェースタッペンでも乗りこなしに苦労している。ニューウェイ得意のハイレーキコンセプトはメルセデスのマシンに対して些か時代遅れのようだ。

各チームが同一トラックで2週間連続のレースを行う。
従来あり得なかったスケジュールで行われるF1において、白日の元に晒されたのはメルセデスの盤石ぶりということだった。
ストップメルセデスの最右翼である2チームは、メルセデスの「適正化」の前になす術がなかった。完敗と言って良いだろう。
そこから導き出される単純な結果は、結局のところ2020年シーズンという特殊な試ズンもここ数年のグランプリと変わらずシルバーアローの天下であり、耳目にあたいするのはハミルトンがどんな記録を打ち立てるのか、その程度の興味関心しか湧かないシーズンであるということだ。
それは別に批判されるようなことではないが、かと言ってコーフンと熱狂を生み出すシーズンかと問われれば力なく首を横にふるしかない。
そんなわけである種、絶望しながらレースを追っていたのだが、レーシングの神様の御慈悲は健在であり、我々敬虔なる信徒には大いなる福音が与えられていた。

それはマクラーレンの復調であり、レーシングポイントの対等である。
マクラーレンに関しては、若手ドライバーが生き生きとレースを戦っている印象がある。サインツJr.もノリスもマシンのポテンシャルを最大限まで引き出し、懸命な走りを見せる。
F1はあまりに高度になりすぎて、人間力の介在がどこにあるのか見えにくくなっているが、なにそういうこという輩はこのオレンジ色のマシンに着目した方が良い。
疾走するマシンから溢れ出るエナジーを感じ取ることができる。
昨年から徐々にマネジメントの改革を進めて虎視眈々と上位返り咲きを狙っていたマクラーレンチームだったが、メルセデス以外の「定位置」がグチャグチャになっている、この戦国時代とも言える状況で独自のポジションを掴みかけている。
カスタマーのPU、大きなスポンサーもつかない、かつての名門チームを知っているファンにとっては現在の立ち位置はやきもきすることもあるが、それでも着実にマクラーレンはかつてのポジションまで距離を縮めている。
そしてレーシングポイント。勿論彼らの今年のマシンが議論を呼ぶものであることは承知している。そしてそれはF1という存在を揺るがすものであることも理解している。
だが、勝つために何が最善かということを真剣に考えるなら、彼らのやったことというのは、最も単純で最も効率が良い。
下手なプライドを捨てて昨年のチャンピオンマシンを「完コピ」する。
他チームの物言いの結果がどうなるかは現時点では不明だが、速く走ろうとする気持ちはとりあえず感じることができる。
仮に彼らの行為が合法となった時に、他のチームはそれをやれるだろうか。
他のコンストラクターズはプライドが邪魔して中途半端なコピーしか出来ない気がする。
だとしたら、レーシングポイントの速さへの執念はある種の尊敬に値するものである。
F1はプライドを競う場では無い。相手より速く走ることを競う競技だからだ。

マクラーレンとレーシングポイント、彼らに感動する理由は、昨年に流行った虫酸が走る用語「ベストオブレスト」を狙っていないということだ。
結果的に「ベストオブレスト」のポジションに収まっているかもしれないが、あくまでメルセデスへの挑戦権を狙っているファイティングポーズが美しいからである。

今年のF1は、予想通りの結果で終わるかもしれない。
レーシングポイントのマシンはひょっとするとレギュレーション違反を取られるかもしれない。
マクラーレンもシーズンがすすむに連れて失速していくかもしれない。
だが、こういう一瞬の煌めきがグランプリには確実に存在した。
そのことがレーシングファンとしては嬉しい。
ファイナルラップのノリスの走りは、レーシングファンの期待に十分に応えてくれたものだった。
ああいう走りがまだ見ることができる。それだけで我々はF1にまだまだ期待が持てる。
だから来週も笑顔でF1を見よう。

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