2019年 F1 モナコGP レビュー

アゼルバイジャンの殺伐とした街並みから一転、スペインを経てサーカス一向がやってきたのが華やかで艶やかなモナコ公国。
ここが今回の舞台だ。
いわずと知れたストリートサーキット。誰が決めたか世界三大レースの一つとなるモンテカルロ市街地サーキット。
背負っている歴史の重みが違う。誰もがそんなイメージをこのサーキットに抱く。
いま安易に「誰もが」なんて書き方をしたが、「誰もが」なんて共通項でくくってしまっていいのだろうか。
世界三大レースなんて誰が言い出したのだろう。
モナコ、モンテカルロ市街地サーキットはそんなに、立派な「戦場」なのだろうか。
このサーキットについてまわる優美なイメージと数々の伝説によって惑わされているのではないか。
2019年のモナコGPはそんな思いに捕らわれたグランプリだった。

レースはスタートでレッドブルのヴェースタッペンが仕掛ける素振りを見せたが、ほぼほぼ順当なスタートを切った。
これでこのグランプリは、かなり高い確率で絶望的な展開になることが確定した。
ハードスペックの差が出にくいコースレイアウトのモンテカルロ市街地サーキット。
その証拠に過去2年の勝者は他のサーキットではコテンパにされたフェラーリやレッドブル。一矢報いた形となった。
だが、今年のメルセデスは先々週のスペインで暴力的なまでの力強さを、我々にそしてライバル達に見せつけた。
プレ・モナコともいえるカタロニアの最終セクター、メルセデスの異次元のコーナーリングは健在だった。低速コーナーでも、出来の悪いCGを思わせるコーナーリングをグランプリの住人に見せつけていた。
どちらかというと高速系が得意といわれているメルセデスのパッケージだが、カタロニアの最終セクターでも速いとなると手が付けられない。
そしてその予感は不幸にしても的中してしまう。
レースはその後ヴェースタッペンが気を履き、ハミルトンを追い詰める。
アンセーフリリースに伴うペナルティがでて、5秒加算が通告済みであったとは言え、その懸命の走りは見ているものの胸をうつ内容だった言って良い。
だが、ここはモンテカルロ、トラック上で少々タイムが上回っていようと、絶対に抜けない。
トラックポジションに変化は無くジ・エンドとなった。

そうしたヴェースタッペンの頑張りを見て、改めて思う。
モナコ、モンテカルロは何が素晴らしいのだと。
ここが世界三大レースと呼ばれる言われる所以はどこにあるのだろうと。

豪華絢爛な街並み、海辺に停泊する華美なクルーザー、パドックを賑わすセレブたち。
それはそれで現代のF1らしくお見事である。ご立派ご立派。
ガードレールぎりぎりを駆けていくF1マシンもそりゃ確かにすごい。一歩間違えれば即クラッシュというのも、他のサーキットには無い緊張感がある。
そして歴史だ。90回という年月は伊達じゃない。90年前から街中で自動車で遊んできたという積み重ねこそが「特別感」を演出している。

だが、ヴェースタッペンとハミルトンの攻防を見た後に、そんな装飾品はどうでもよくなった。
そしてその装飾品を一旦すべて剥ぎ取り、思いっきりゴミ箱に放り込んで、彼らの戦いをもっと違うところで見てみたくなった。
しっかりとスピードがのる高速コーナー、ホイールトゥホイールで侵入できる90度ターン、ブレーキングで勝負できるタイトコーナー、そういったサーキットで彼らのバトルをずっと見ていたくなったのだ。

先にも書いた通りモナコのレイアウトはハードスペック差を打ち消すことが可能だ。
ヴェースタッペンもよそのサーキットならハミルトンにあそこまで近づけなかったかもしれない。
それよりなにより、ヴェッテルやボッタスにトラック上でポジションを奪われていたかもしれない。
この接戦を産んだのはモナコのレイアウトと断言しても良い。
だが、それってプリミティブなレースの喜びから実はかけ離れたところにあるんじゃないか。
巷で導入が噂されるたびに大批判が巻き起こる、F1でのウェイトハンデシステム導入。これと大してかわらない構図じゃないだろうか。

たまたまモナコは90回の歴史があるから何も言われないが、『接戦を演出するために抜けないサーキットで開催します』そんな理由で新しい開催地が選定されたらF1ファンは怒るだろう。
レースファンはモナコの豪華絢爛な街並みや、高価なクルーザー、暇と金を持て余しているセレブを見たいのではない。
ドライバーが知力の限りを尽くし、マシンが限界まで性能を絞りだすのが見たいのだ。
そういうレースをしていれば、たとえ辺鄙なところでグランプリを開催したとしても、セレブ達は高価なクルーザーに乗ってレースを見に来る。因果が逆なのだ。

過去のグランプリはそりゃあレーシングのもつ暴力的な魅力に満ち溢れていたのだろう。だからモナコは特別になったし、90回も続けられた。
いまのモナコはその遺産で食っているようなものだ。どこにも波乱や狂乱の兆しが無い。退屈と退廃の極致である。
それをわかったような口をきいて特別感を煽るだけの解説者たち。端的にいって広告屋がつくりだした虚像、それが今のモンテカルロ市街地サーキットでのレースである。

現代の超高性能レーシングカーを思いっきり走らせる、ドライバーが己の存在意義をかけてバトルができる。
そんな市街地戦が見たい。それが実現できないのなら、市街地戦などやめてしまった方が長期的に見てF1のためになる。

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