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嘘をつき続ける人生は嫌いです。

note内の友のひとりmoonさんのnoteを読んでいて思い出した。
moonさんはコメントをくれるけど私の方からはコメント出来ないのでこちらに書きたい。


夢野久作の「少女地獄」を思い出した。

作品の主人公ユリ子は可憐な美少女。
周囲からの評判も良く誰もが彼女が嘘をついていると思わない。

だけどだんだんとほころびが見てえ…と言う話なのだけど、私は嘘が嫌いだ。

嘘をひとつつく。すると次の嘘をついてそれをごまかそうとする。嘘は雪だるま式につくことになるだろう。(moonさんもその様に書いている)

嘘をつくのが日常の人というのは既にどこからが嘘でどこまでが本当なのか自分の気持も分からなくなるんじゃないだろうか。(自分にまで嘘をついているのだろうから)

私は嘘つきは嫌いだから自分が嘘をつくことも嫌だ。

出来るだけ本当のことを言おうと思う。素直にいようと思う。

よく分からないのに分かったふりをして流すことも嫌だ。

分からないことをそのままにして流そうとする人って多いし、それは嘘をつくことではないだろうけれど、黙ってやり過ごしていてはその人がどう思っているのか分からないままだ。

分からなくてもいい人ならもちろん流すのだけど(だって自分にとってどうでもいい人のどうでもいい話だから)少しでも自分と関わりのある大切な人だったらできるだけ理解したいと思う。

そんな時は素直によく分からない旨を伝える。相手が馬鹿だなーこんなことも分からないのか?と思ってもいいと思っている。黙って流すよりずっと相手に興味を持って接していると思うから。

逆にそれでスルーされたらそんな態度を取るのだなと思う。

それもそれぞれの人間性が出るんで構わない。構わないけれど私も私らしく対応する。

そしてもう一つ苦手なのは誰にでもいい顔をする人。調子がいい人は世渡りが上手いのだろうけれど信用できない。

誰にでも同じように好かれるためにはみんなに合わせる。それは自分が本当に思っていることなの?と感じてしまう。

でもそんな見方をする人だけではない。合わせてニコニコしているのでみんなに好かれていると思う人がいる。

あの人はいつもニコニコしていてみんながあの人をスキよね

と言うの聞くと本気でいっているのか?と思ったりする。

結局のところ、話し言葉だけで私は人を信じない。

その人の行動、態度、何をどう言うか総合して判断している。

相手がなぜこんな行動をとるか、こんな態度をとるのか、その相手の思考パターンを思いながら言葉よりそちらに重きを置き判断基準とする。


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