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川の流れのようなもの。

先日掃除をしていると、部屋のなかで数匹の蟻を見つけた。
他の場所に目を落としても、いる。

どこから入ったのだろうか?慌てて周囲を見まわす。その様子をタバコを吸いに来た主人が見て一緒に探しだした。

主人いわく、開けていた窓から侵入している と。
確かに窓のそばに数匹。が、そうなのか?

窓は朝から開けていたのではなく掃除を始めるために開けたから時間としてそれほどたっていない。
蟻は窓の上から、床までそんなに素早く移動するのだろうか?
蟻に詳しくないから分からない。
とりあえず窓を開けないことにして様子をみることにした。

昆虫と言うもの。いや魚や動物も同じだろうが群で生活するものは時に自分を犠牲にしコロニーを守る。
そこには躊躇がない。自分の命がつきるとしても遺伝子を残す方を選択する。大きなくくりのなかで行動するには時にどこかで線引きをしないとならない。昆虫などは集団の意識が強いのだと思う。だがそれは私たちも同じなのかもしれない。



次男が塾の模擬テストを終えて帰宅した。
論文問題が集団主義は福祉国家を育てると言う内容だったそうだ。

ひとつのことを成すためには沢山の同じ考えを持つものが必要なのだが、同じ考えで行動するものを作り上げるためには福祉を充実しないとならない。

ただどうしても集団から外れるものがいてそれをどうするか。
問題文のなかでは移民問題を取り上げていたらしい。
移民を受け入れるか受け入れないか。
違う思想を受け入れるかどうか。

民族や人種の問題は根深いのだろうが、多民族に慣れていない日本人には(私だけか?)それほど切実な問題に感じられない。
高齢化の進む日本に足りないマンパワーを東南アジアから受け入れ斡旋しようとしている知り合いがいる。
しかし手続きがなかなか進まない。日本語も習ってきた。日本で働いて技能を習得したい。意思を持った若い人たちが発展途上国から来たがっている。
国のハードルが高く手続きが進まない。就労ビザの期限で国に帰らなくてはならない。どうか仕事を斡旋して欲しいと知り合いにいってくるそうだ。

異端を受け入れるということは自分の価値観を変えていくことになる。国であれば国の価値観も変わってくるだろう。


書きながら思い出した。
先日仕事で職安に行った。横の女性がカタコトの日本語で話していた。
4月、新型コロナの影響で在宅を強いられた。
5月に入り会社に行けるかと思ったらこんなものが届いた、と。
聞く気はないものの隣なので話はまるまる聞こえてしまう。
どうやら期間満了で解雇となったようだ。
本人が知らされず解雇されて困っていると職安の窓口に言っている。

正直、何度更新されたかにもよるだろうが期間満了だと何も言えないのではないだろうか?
会社としてもコロナショックで雇い止めと言うのはあるだろう。
大体切られていくのは弱い立場の者からとなる。
先程の女性は「さいとうさん」と呼ばれていたから日本人と結婚したのだろう。
だから就労も苦労はしないだろうが滞在年月が浅いのだろう。日本語が流暢でないので解雇の順番は早いのかもしれない。

ことばの壁のなかで自分が異なることを知った「さいとうさん」は次に自分に合う仕事が見つかるとよいだろうなと思った。


私の働く職場でも派遣社員の入れ換えがある。
コロナとは関係なく、周囲との人間関係に難がありすぎて切られるのだが、本人にはコロナで人減らしと言ってある。こちらは便乗で理由をつけている。
部長は本人には何も言わないが、派遣会社にはバンバン文句を言っている。
彼女を切ると聞いたとき正直ほっとした。
彼女の方からみたら自分は仕事にきている。与えられたことはきちんとしている。その様に思っているのだろう。

しかし与えられたことの中で自分が選んで他のものは受け付けられませんと知らんぷりされると誰かが彼女の代わりにしないとならない。前任者は引継に困って部長に相談していた。

他の気持なんて考えない。自分が出来ないと評価をされたくない。悪いのはみんな他者で自分は悪くない、そのスタンスでいたから周囲とは上手く行かなかった。

他者との関係は学ぶことがあるから目の前にくる。
どんな学びなのか気が付けて取組み続けるうち答えが出る。答えが出ればステージアップするので、その人との関係は終了する。そんな風に出来ている。
彼女に振り回された一年半に私が学んだことはなんだろう。

何を言っても他人を変えることはできない。私に出来ることは現状を受け容れること。自分自身が変わること。大変なことだったとしてもやり続けること。実際続けていくと大変を大変と感じなくなるし、状況を受け容れれば嫌な気持ちにならないで済む。マイナスな感情は体調を悪い方に導く。それよりできるじゃないか、と思える工夫をした方がずっといい。

最終的に仕事量が多すぎてオーバーヒートしてしまったので、上司は他の人に仕事を振ってくれた。そのころには残業すればなんとか回せると思っていたから別に抱えててもいいよと思ったが、自分の仕事が終わっても次の人に引き継がれるものだから私が溜めて遅くなると(他のルーチンも抱えているから後回しになる場合もある)他の人にもしわ寄せがくる。そう考えたら迷惑を掛けるような仕事はしたくないと思った。

世の中も、組織も何もかも川の流れのようなものだ。

主流に沿って流れて行かないと海までたどりつけない。

違う流れは小川のせせらぎ位が丁度いいのだろう。
せせらぎが水嵩を増し、大きな流れになるような時は全体が窮屈になるから。
急速に川幅を広げなければ溢れて流れ出る恐れがある。危険を感じるようになる。水嵩が増すと思った時点で川幅を広げる努力をすればいいのではなかろうか。

川幅を増すためには周りを巻き込んで大きくなっていく必要がある。よほど大きな水の力がないと土地を削るほどのものになれない。

そして突然水嵩が増すというのは、周囲を破壊して違う流れの道を作ってしまう。そうならないうちに周囲を整備して新たな水の流れを引けたとしたらそれは周囲に田を作ったり畑を作ったりしてより肥沃な土地を生む。

何かを起こす時の流れも同じで水の流れる先にいったい何があるのか考えて導ける存在になれたらいい。
水の流れを変えるのはいくつもの止水を主流にしたい流れに結び付けなければならない。細かい作業をしていくには多くの人力が必要になるだろう。

組織に従事している自分の役割とはなんだろうかと考える。止水だと思っている自分がいる。何かのきっかけで川の流れに導かれたらきっと自分の流れに気がつくだろう。勢いのある流れに乗った時きっと自分のやるべきことに気がつくのだろう。


まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!