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ごめん、口あたりのイイことを書けない

今日帰宅する途中感じたのですが夕暮れ時はすでに秋の雰囲気が漂っていました。夏の終わりの夕暮れ時は何か物悲しく昔を思い出す私です。
今日以前書いていたブログを読み返してみました。

このnoteへ来る前に書いていた場所での記事です。

ちょうど先日「いじめ」について書いていたのですが3年前にも書いていたので載せてみたいと思います。実際の具体例として息子の話なので先日書いた記事より読みやすいのじゃないかと思います。

それにもう一つ「いじめる側の話」も書こうと思っていたのですがその辺りも触れているのでいいのじゃないかなと(手抜きですみません)…。


私の文章はあまりnote向きではないのかもしれないと近頃思っています。

なぜならここに集まっている人のどのくらいが本気でそう思っているのか分からないけれどきちんと校則を守って先生のいうことを聞く優等生の集まりみたいに見えて、内申書の点数を良くして推薦を貰いたい様な記事が多い気がして。(私のただの受け取り方なので気になさらず流してほしいです)

ただ、私は…ごめん、口当たりのいいことを書けない。そういいたいのです。私は思っていることを正直に書くこと、それしか出来ないのです。


先日息子の中学校の卒業式でした。
私立の中高一貫校なので、卒業といってもほとんどがそのまま同じ高校にあがります。ですが辞める人もいて理由もいくつかあります。中には他の学校を受験して変わる子もいますが、辞めなければならない理由が、いじめにあって学校に来られなくなり出席日数が足りず進学対象から外れてしまうという場合もあります。
息子のクラスにも登校拒否児がいました。一年間同じクラスにいながらほとんど学校に登校せず三学期は後ろの席だったのですが、結局一度も登校しませんでした。
彼は一年の時にいじめられてから学校に来られなくなったそうです。先日息子は帰宅すると
どう書いたらいいか困るんだけど
といってきます。
何のことかと思うと、その一度も話したことないクラスメートに手紙を書けと担任にいわれたそうです。私には先生の気持ちは分かります。きっと何度も何度も登校するように促したのでしょう。
進学できなかったのが残念だったのでしょう。だけど息子もクラスメートも困惑。私も一瞬固まってしまいました。
そして絞り出したことばが
このクラスで一緒に勉強できなかったけど、他の場所で頑張ってね。僕も頑張るよ!ってどうかな?

とかなりワザとらしい感じの文章を話した訳ですが、素直な中学生は
俺だったら、だれ⁉ってヤツから手紙貰っても読まないで捨てるよ。
どうせこんなの書いたって読まないよ。だいたいさー、嫌な思い出しかない学校辞めて新しいところで頑張るなら、なぜ嫌なこと思い出すようなもの読む?
いつも穏やかで優しい子なのですが、ちょっとこの先生の対応にご立腹のご様子。確かに息子のいうことはこどもの目線で相手の気持ちに立って考えていることばだと受け取れました。
相手のことを思いやったら下手なことは書けないし、来ないからその子との思い出もない。書きようがない。何を書いてもその子の失われた三年間が還るものではないでしょう。
私だったらもしその子が手紙を息子のいうように捨てず何かの機会に読むことがあると考えて
会わずに終わったけどもし次で同じような目にあっても相手は変わらないよ。
自分を変えとかないと周囲との関係は変わらない。
学校で人とうまくいかないんじゃ、人以外のことで行く意義をみつけてくれよ。
図書館で本読むんでも、先生と話するのでもいい。
学校へは勉強に行くんだと思ってひとりでも平気なメンタルになれよ。
おせっかい野郎より
って書くかな。
学校は社会の縮図。メンタルを鍛える場所でもあります。
先生は息子の顔に出ているアトピーを心配して、個人面談の時に
もし、彼がいじめられたら僕は全力で守ります
とおっしゃっていました。熱血漢なんですがね、いい先生ですけど、違うんだな。
当人の気持ちが分からない。
かくいう先生も訖音症があり、きっとなやまれたことであろう。
だからそんなことをおっしゃるのだろうが、先生に守られているだけでは、その楯がなくなったらどうなるのか⁉
息子はそれを知っている。だって彼は生まれたときからこの肌で、幼いうちから色んなことを言われていた。案の定息子に

先生、守ってくれるってさ

といったら、

こんなんでいじめられてたら俺とっくに学校いってないよ。
いじめは本人の気持ちがそう思うからいじめなのです
いじめと決めているのは本人とその周辺。
加害者と被害者を作り、被害者だけが擁護されて「行かなくてもいいよ」
といわれます。
そしたらずっと行かないまま、だんだん行けなくなるのじゃないでしょうか?
外からの助けはずっとある訳ではありません。

いじめる相手は変わらない。
いじめることで優位に立とうとする人は、やっぱりいじめられたことがあるから同じことをして優位に立とうとする。無意識に親にいじめられている時もあるでしょう。
「いじめ」ではなく「しつけ」といって。
子供に虐待をしていれば、子供も自分がやられたことをしてもいいと学ぶでしょう。
集団でやるのは、ひとりでできないから。
周りが同調していじめをしてはならないけれどそうなってしまった場合、ひとりでいる勇気を学んでいるのだと思って通い続ける努力をしなくてはならないのだと思うのです。最初は怖いかもしれないけれど。
耐えることをそこで学んでいるのだと思って、強いメンタルをつくりましょう!!
もっとも、嫌だと思ってばかりでは学校が嫌な思い出になります。ひとりでいるというのは、周囲に合わせる煩わしさがない訳で、慣れれば楽です。これは高校時代クラスメートとほとんど話さなかった私の実体験だから本当です。学校にいくほかの意義をみつけてみましょう。
図書館の本でもいいし、先生と話すのにいくでもいい。
学食を楽しみにいくでもいい。
通学の途中で楽しみな日課があってもいい。
小さなことでいいから行く意味をみつけてみると、学校に行くのが苦痛にならなくなってきます。
苦痛にしているのは、原因ではありません。
本人の気持ちでどうにでも行動は変わっていきます。
息子がどんな手紙を書いたかは分からずじまいでしたが、子供のひとことに考えさせられた話でした。

まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!