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仕事と女性④

女性がフルタイムで子供を複数持ちながら正社員で働き続けるのは今の日本ではとても難しい。

公務員では少し違うかもしれない。
職場が家と近いなら少し違うかもしれない。
私は自分がひとつの企業に働き続けるなかで女性が家庭と仕事の両立することの難しさを実感している。
私には特別な能力があるわけでない。
学歴だった大したことはない。
自宅と会社が近いわけでもない。
子供を産み休みに入ると職場は当然変えられる。産休の間に人を繋ぐという方法もあるだろうがわが社にはそれがない。

私のいる本社内で子供を持ちながら正社員で働くのは私を含めて3人だ。
そのうち複数人子供がいるのは私ともうひとり。社内全体ではどのくらいの人数がいるのだろうか?さして大きくはないが自社ビルには子会社の社員も含めると200人強はいるのじゃないかと思う。

女性に対する考え方はまだ低い。

私たちはいつまでも労働組合の組合員のままで管理職になることはない。

もともとコースが違うから一生そこから上がることはない。

今の若い人の採用は性別の差がないので辞めない限り上に上がることは可能だろう。

だけど、子供が出来1年ないし3年休んで復帰し子供が小学生の低学年まで時間短縮で仕事をしたとすると周囲より確実に昇級は遅れるだろう。
一生独身で貫くならもっと違うかも知れない。


だけど性別という厄介なもので周囲は偏見を持つ。

オンナなんだから。(表立ってはハラスメントになるから言えないが)

なんだよ、それって。そう思う。

私たちのメリットはよほど会社の業績が厳しくならない限り普通に仕事をしていれば解雇されることはない。

会社に入って数年の女の子たちは
ここの会社は結婚して出産後も働き続ける女性が多いから

と言う。

彼女たちはまだ知らない。
幼い子供を持ちながら男性と同じように働き続けることがいかに大変なのかを。

私が結婚した頃、社内で出産後も働く意思を持って1年後に職場復帰した人たちが何名かいた。

会社側は働くこちら側に考慮してくれていて、急に抜けてもそれほど影響の大きくない部署へ配置換えをしてくれていた。それでも休める日数は1年間に決まっている。幼いうちはからだが弱く集団でいると風邪をひいたりすることは良くある。からだの丈夫な子供を持てればいいがそんな人ばかりではない。

実家が遠くて保育所に熱が出ても迎えに行くのが自分であったり実家の親もまた働いていてあてに出来ない場合結局休暇も足りず職場を離れなくてはならない。

インフルエンザになったり、高熱が出れば自分が休んで看護しないとならない。休みなど直ぐに底をつく。だから勤め続けることが出来るとすればサポート出来る誰かが側にいる人しかできない。

男性が育児休業を取れるようになって活用している人はどのくらいいるのだろうか?
私の子育ての時代には無かったのでよく知らないが私の周囲で半年間取っている人がひとりいる。その間彼がしてきた仕事は他に引き継がれ、彼は配置換えされた。もっと休みやすい部署と仕事が用意された。

それは人によってラッキーだったり逆に思ったりするのだろう。

会社と言うのは分業の組み合わせで成り立っているから時間的な部分であてに出来ない場合変えられるのは当然だろう。

今は夫婦揃って子育て出来る環境が整えられている。私の時代はまだ違った。

私の場合は実家の母が丁度定年退職した時期で子育てを手伝うと申し出てくれた。

私は子供がいてもずっと夫婦が良好な関係なままいられるのか分からないと疑っていたから働き続けるつもりでいた。

主人と結婚を承諾した時も、ずっと今の会社で働くつもりでいることを条件に挙げた。

単身赴任になることも子供をそれほど望んでいないことも承知で主人は一緒になってくれた。

だから私は子供が出来て大変な時期も辞めることはしなかった。

というより辞める選択が私の中になかった。

(はじめての妊娠で流産してから私はその考えを改めたのだけど。
流れてしまった子に対して申し訳なさもあり命を大切に思う気持ちにかわった。有料になってしまうがこちらに書いた。)


なぜ私が結婚しても仕事を続ける意思を貫いたか?(ここは恥ずかしい話なので一部有料にします)
(横道にそれるがこの話を長くなるから後日(番外編)を書きます。もしよければまた後日おいでください)

実家の親は見てやると言っても日中見るだけで、夜泣きで寝ない孫の面倒をみることはない。主人も単身赴任中なので私の睡眠時間は通勤電車の往復2時間と朝方泣きつかれた子供を抱きながら寝ている数十分だけだった。
職場で眠ることはもちろんできず夜中

もう、寝かせてよ!おねがいだから

と私は泣きながら生まれてふた月の長男に言った。私の母は

自分の子供なんだから夜中は自分でみなさい

とまた言った。もう限界だった。

私はフカフカではあったが息子を布団の上に放り投げた。

息子は衝撃に泣き出し私も一緒に泣いた。その姿に母は驚いた様子で息子を抱き上げ

いいわよ、私が夜中見るから

と言ってくれた。しかしその時にはからだは限界に達していた。

出産から3か月目に帯状疱疹になった。当時は1週間仕事を休まなければならなかったがお陰でからだは大分休めた。

この話を息子たちにするたびに次男は

面白れぇなぁ

と言って笑う。どんなに偉そうなことを言っても私は自分勝手で自分の都合で一瞬でも赤ん坊の育児放棄をしたのだ。それを次男が何度聞いても面白いと笑うのだ。

当時の私のことを産後うつというのだとしたらそうなのだろう。(自分が体験したから言うのだけどきっと不快に思う人もいるだろう)うつ病というのは自分の中で余裕がない人がなる利己的な病。

自分が一番大変だ。自分が一番ひどいことをされている。自分が一番可哀想だ。自分が、自分が……。

全て自分中心に物事を考え周囲のことがみえない時どうしていいのかわからず、自分も周囲も傷つける病。または周囲に心配をかける病。

子育ては自分のからだが辛いと続かない。人間は利己的にできている。

私はとてもからだが辛いので一年間休んで自分で子育てをしたいと母に言ったが当時実家には会社を辞めたばかりの妹がいた。

もともと人間関係でつまずきやすい妹は長男の世話をしてこころの状態が快方に向かっていた。

母は母で妹と息子、両方の面倒を日中みていたのだろう。
母だって大変だったのだ。だけど当時の私には母の想いなんて全く分からなかった。


3か月目には息子の血液検査が出来るようになり夜泣きの原因がからだの痒みからきていたことが分かる。

私は卵と牛乳を除去した食事をして母乳を与えた。加工食品には混ざっているものも多いので食事は市販のものは使わず作り、お菓子もパンも食べるものでアレルギーの元になるものは抜くため自分で作った。当時は今ほど除去食品が一般的に市販されていなかったから。

当時出産前より5キロ体重は落ち、目はくぼみ周囲からやつれたと言われた。子育てと不眠と仕事の復帰と全てが重なってこうなったのだと思う。

職場でも搾乳をし、冷凍し持ち帰り息子に飲ませて貰った。

あの時期職場は私に対しあてに出来る仕事は与えなかった。

当然だと思う。だから私の仕事に対して評価が低かったとしてもそれは仕方がないことだ。

本来なら辞めていることだったろう。だけどそう促されなかったのは本当にありがたい。

今のことは良く知らない。

だけど当時同じようにして働き続ける選択をした女性がいたとしたら少しは分かって貰えないかと思う。

(分かって貰おうなんて甘い考えだろうか?いや分かって貰ってどうと言うことでもないが…)

そしてここでまたふと考える。これは子育てだけでなく、今では親の介護についても似た問題はあるのではなかろうか?

それについては今は触れないがきっとそちらで大変な思いをしている人はいるはずだろう。


まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!