ハードな話題が続く…(いじめに悩む子供)
以前こんな事件があったことをおぼえているだろうか?
(ここのところ私の中で「いじめ」というものについて考えている。「いじめ」については折に触れて思い出すのだが先日からの流れで具体例で苦しんでいる子供について触れたい)
小学生の我が子を父親が殺した事件。なんとも痛ましい事件だ。
親に似ない子はないと言うが、そういう親はやはり子供の頃そんな風に育てられたのか⁉️と考える。
親が子供を異常に追い詰める。
(ここからは上記の記事ではなく)ある人の息子の知り合いの話だ。
死にたいと言う。話を聞いてしまったその人の息子は死にたがっている知り合いにどんなことばをかけたらいいのか分からなくなってしまった。
大人なら家から出て自立することも出来る。
だが、未成年者は自立して生活することはできない。
自ら死んでしまうと言うことは何であっても良くない。
自分の人生なんだからと思うだろうが、人生を放棄してはならない。
一人だと思っても、亡くなって悲しむ人が必ずいるのだ。
少しでもこころを痛ませる人がいることを知っていてほしい。
例え自分が知らない存在だとしても、私は知らないその人のことを悲しむ。
何にも変えられない命をたつほどの絶望になぜ見舞われたのだろうか⁉️
生きたくても生きられない人がいる。例え直接の知り合いでなくてもそういう人の分まで生きている。そう考えて命を大切に生きないとならない。死ぬ瞬間まで自分に責任を持たないとならない。
さて、なぜその人は追い詰められたかと言えば、既になくなっている兄弟がいて、その兄弟の分まで生きなくてはならない。
優秀でなくてはならない。
そう言われ続け親の期待に応えないとならなくなってしまった。
少しでも応えられない結果を出すと折檻をされる。
そして生きることに絶望してしまったのだ。
親は子供を持ち物の様に思っているのだろうか?
こんな風に接されたら自分でなくてもいいのだと思うだろう。
愛情はどこにあるのだろうか⁉️
自分を無くして生きるしか道は無くなるが思春期に間違いであることに気がつくのだろう。そして絶望が訪れる。
自分らしさとは実に難しい。
周囲の期待に応えるためにいろんなことをしていると、自分がどこにあるのかわからなくなる。
相手に認めて貰いたいばかりで行動していると、ただの嘘つきになりかねない。いつも人前で良いことばかり言ってしまう。その人の本当のところが分からないから、芯から慕ってくれる人はいない。信用出来る相手ではないから。
そんな自分を自らも信じられないから、自分は誰からも愛されていないと自信を持てない。まず自分を愛せない人は誰も愛せない。
それは自分に甘いと言うことでなく、どんな自分自身も受け入れる覚悟と責任を持って行動すること。
何事も人のせいにしないことだ。自己責任を持つと言うことは自分の全てを認めなくては出来ない。
何かを理由に逃げてはならない。
今ある現実を作ったのは自分であり、自分をどう変えて現実を変えていけるか考える力を持たないとならない。今いる場面から消えようとするのは逃げでしかない。
このことに気がついて生き辛い中を生きる術を自ら学ぶしかない。
しかし小さな子供にはそこまでの知恵がない。力もない。
だから子供だけは守らなくてはならない存在なのだ。
そうされて育たなかったから分からないという人もいるかもしれない。
それでも大人になったら自らが受けたことと同じことをしてはならないのだと気がついてくれたなら。
それを学ぶために親になったのだから。
まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!