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人前で緊張してしまう時の考え方
私は人前に出て話をするのは苦手。改まった席で話をするのも好きじゃない。
会話が嫌いとか苦手なのかと言えばそうではない。気軽に好きな人達と好き勝手な話は良くするしそんな時は「油紙に火がついた」みたいに話すねーなんてことも言われる。
けど余りよく知らない人や改まった席ではことばがほぼ決まっていても緊張してしまう。
緊張して静かになってしまう。これって当たり前だと思っていたのだけど、主人に聞いたらそうではないらしい。彼は人前でスピーチをするのは苦ではない。いきなりふられても全然OKなのだそうだ。
そういえばどちらかと言えば主人に性格が似ている次男はよく知らない相手を前にして話している時の方がリラックスしているように見える。自分の考えを伝えようとすると緊張するのかアトピー体質の彼はカリカリと腕を引っ掻いている。その差をみると一概に知らない人を前に話さないとならない場合が苦痛な人ばかりじゃないのだなと思う。
私の同僚もそうだった。相手から会話を巧みに引き出す。
そういう人を目の前にすると私の劣等感は刺激されてしまう。
会話を引き出して相手に気分よく話させる人をみると、必ず相手を褒めている。私にはそこが出来ないのだ。本当にいいと思うことははっきり言えるんだけど、それほど……と思っていることを褒めることができないでいる。下手だなぁとつくづく思う。今日話したいことはこのことではない。今はその話は置いておこう。
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コメントで許可を取ったので思うところを。
金木犀さんは私と同じ丙午生まれの繋がりで仲よくして頂いている方だ。
金木犀さんはとても素敵な方。いつもみんなに感謝していらっしゃるし謙虚でいらっしゃって、自分のnoteの中でも他の人のことを考えている。
これって簡単にはできないと思っている。
さてそんな金木犀さんは吃音でいらして幼い頃コンプレックスに思っていた。小学生の頃の思い出を語っているが、担任の先生からのある言葉に金木犀少年は勇気を貰って行事から降りずやり遂げることが出来たという話を書いている。
金木犀さんは自分の成功体験を書かれているが、だからと言ってみんなが同じにやり遂げればいいとは思っていないらしい。
私としてはやって出来たら更にステップアップできると思うのだが苦しいことや嫌なことを無理する必要もないということなのだろうか。
さてこの場合小さな子供だからそうなのかもしれない。
で、私はどう思ったかといえば吃音が出たら恥ずかしいと思うのでこころが塞いで逃げたいほどの気持になってしまう。
確かに私には吃音がないから、そんな人がこんなことをいっても説得力がないと言われるのだとも思うのだけど
嫌な事柄にぶち当たったら考え方を変えてみる・見方を変えてみる
と思っている。逃げ出したい・嫌だと思う気持ちで立ち向かっていくのはとても勇気がいることで、恐怖に耐えられないで我慢できなくなってしまう人がいるのは当然。
だから根性論でがんばれということを私はいっているのではない。
頑張らない考え方をしよう!
もちろん金木犀少年は先生との間に信頼関係が出来ていて、その先生に言われた言葉で前に進めたのだと思う。だからとても強い、その時点でワンアップもうできている。
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さて「頑張らない考え方」それはどんなことかと言えば
この場面(「呼びかけ」のこと)なら
保護者や先生たちに向けて最上級生になった子たちが立派になった姿をみせるためにすることだ。
ということは自分のことで恥ずかしがる予想(失敗したらどうしよう)をする必要はどこにもないってことだ。
この行事はお世話になった人たちに感謝を述べる儀式なのでどんなことばでも態度であっても見る側は喜んでいてくれると思うことが大切なのじゃないだろうか?
どんな自分であっても見ている人たちは必ず喜んで見ていてくれる。だからありがとう、こうして卒業できるほど立派に成長したよ!
という姿を見せるだけでいいのだと思う。そんな風にこども達が思えればいいのじゃないだろうか。
もっとも幼いうちは自分でいっぱいでそんな風に考えるのは難しいかもしれない。
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今日長崎の平和記念式典の様子をTVでみた。次男が言う。
良くないよ、なんで小学生たちにこんな風に声を張って言葉を発することするのか。(小学生)みんながみんな(この行為)を好きとは限らないだろう。
まるで記事を読んだのか?と思うようなセリフだが、記事のアップより前なのでそんなことはもちろんない。
彼も小学生のころ、人前に出ることを嫌がる人だった(自分の作文と友達の作文のどちらかをクラスの代表で読むことになった時、クラス全体で採決を取った。僅差だったため相手に手を挙げて回避したという)。
確かにやらされている感は否めないけれど、これは見ている人にとっての儀式だから話している本人のいい悪いではないのだよ。
その様に話したと思う。
緊張する時自分にクローズアップし過ぎるのだろう。
これはおとなになっても同じで研修での発言や自己紹介の時、若い頃の私はとても緊張していた。結婚式のスピーチとかもね。
今ならそんなこともないだろう。
結局なんであれ、集まった人の為に話す。自分の発信できる機会を作ってくれてありがとう、そんな気持ちで話せばいいのだな、と思っている。
まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!