誕生日なので少しだけ書きました。
ずいぶんと長いこと、noteを放置してしまった。
真夏の間中、ずうっと具合が悪くて、
臥せっていた。
初夏、我が家に災難が襲い、
弁護士を立てなくてはいけない事態に発展してしまった。
その悪事が俺の精神を直撃して、ぶっ倒れた。
そういう時には、鍼治療が一番効くのだけれど、
治療院に行くバスに乗られないくらいの状態になってしまった。
8月などは家から出たのが1回くらい。
それも近所の図書館にほんの少しの滞在。
あとはずっと家に引きこもって過ごした。
まだ、解決はしていない。
が、しかし、今日は俺の誕生日である。
誕生日なので、少しだけ何かを記してみたいと思った次第である。
これまで生きてきた証として。
前の一行はとてもポエムで大袈裟な表現であると、恥ずかしい。穴があったら入りたい。
誕生日の思い出は幼稚園までさかのぼる。
幼稚園では毎月、その月に生れた園児を皆でもてはやすというイベントがあった。
お誕生会である。
園児全員のお父さん、お母さんも参加する。
俺は10月生まれで、クラスで一番かわいい女の子と一緒だった。
俺は病弱で小児結核に罹り、毎日通院で1年とちょっとしか通えなかった。
なので、お誕生会で祝ってもらうのも卒園の年一回こっきりになってしまった。
俺は、とても楽しみにしていた。
なんせ俺とかわいい子の2人を祝ってもらうのだ。
楽しみ以外に何がある。
ワクワクして当日を迎えた。
ところが、その日の朝、母が風邪で熱を出して寝込んでしまい、
俺は主役であるにも関わらず、一人で参加することになってしまったのだ。
主役なのに母もおらず、ぽつんと一人。
皆にお菓子やミカンなどが配られ、お父さん、お母さんたちも交えて楽しく会が始まった。
誕生日でない子らが父兄と一緒に「俺の誕生日」などおかまいなしに、わいわいと大騒ぎをしている。
俺はものすごく孤独と虚無を感じた。
あれほど楽しみにしていた、たった一度の「俺の誕生会」に母が同席していないという理由で、俺が放置され野放図になっている。
悔しくて涙が出てきた。
子供というものは、一度泣きモードに入ると、エスカレートするものだ。
俺はわんわんと泣き出してしまった。
見かねた先生に職員室に連れて行かれた。
連れて行かれて悲しさが倍増した。
と、そこにPTA会長をやっていた寺の坊主が話かけてきた。
坊主は言うにことかいて
「明夫ちゃん、ミカンの皮がむけなくて泣いているの?
じゃあ、むいてあげる」
と、ぬかしやがった。
俺はミカンの皮如きで泣くような子供ではない。
「俺の誕生会なのに、母が来ないという理由で俺をそっちのけにして皆が父ちゃん、母ちゃんと楽しくやっているのはどういうことだ!」
という悔しさで泣いているのだ。
坊主の心なく、人の気持ちを理解できないことに、
さらに悔しくなり、疳の虫かと思うほど大泣きした。
以来、俺は坊主と袈裟が憎くなった。
こんなことになるのならば誕生会など出なければよかったと、
手を付けられなかった菓子袋を握ってとぼとぼと帰宅した。
まだ母は床に臥せっていた。
母が「どうだったか」と訊くので、
俺はまた悔しさを思い出して、
わんわん泣いた。
坊主のことも報告した。
母は「ろくなもんじゃねえな」という主旨のことを言って、
俺を布団の中に引き入れてくれた。
母の胸でまた泣いた。
それが一番古い誕生日の記憶だ。
その出来事で、もはや誕生日はトラウマになってしまったので、
「いい誕生日」が思い出せない。
せいぜい父母にプレゼントを買って貰ったりご馳走を食べたりしただけだ。
中高生になると、洋服やスニーカー、ギターやステレオをおねだりして買ってもらうというだけの日に落ちぶれてしまった。
そんな誕生日トラウマが解消したのは、
結婚してからだ。
妻と二人の誕生日はとても楽しい。
毎年、夏ぐらいからプレゼントのリサーチを始めて、
9月くらいにいくつか妻にプレゼンする。
その中から妻が気に入って、
予算的にも高くなく、
これならば買ってあげてもいいという品物が決裁される。
何がプレゼントに選ばれるかは俺の熱意にかかっている。
ところが、今年はコロナで春の妻の誕生日がすっ飛んでしまった。
自粛期間中だったから何もしてあげられなかった。
そんで、今日の誕生日は冒頭に紹介した災難と今もって収束しないコロナのおかげで、
規模を縮小せざるを得なくなった。
もちろん、街に出かけてプレゼントを買ってもらうこともおあずけだ。
ちくしょう、コロナと厄災者め! 覚えとけよ!
俺が一年で一番楽しみにしている日を台無しにしやがって。
それでも、すき焼きは食う。
俺の誕生日はすき焼きと子供の頃から決まっている。
昨日、東急でウチが大好きな肉が大安売りしているというので、
妻が雨の中、渋谷までバスで買いに行ってくれた。
お肉がかなり安くてたくさん買えたので
昨夜は前夜祭と称してすき焼き第一弾を食べた。
今夜の本番もすき焼きである。
なんなら後夜祭もすき焼きでいいのかもしれない。
俺も妻もすき焼き好きなのである。
2人とも昭和の人間だ。何かっちゃあ、すき焼きだ。
フレンチレストランより、
家ですき焼きだ。
フレンチレストランのお代で肉を多めに買いたい派だ。
それに誕生日は外に出たくないからな。
家でまったりしたい。
というわけで家でまったりして、
妻の帰りを待っている。
こんな大変な世の中で、
誕生日にすき焼きを食べられることは幸福なことだ。
※久しく書いていないので、拙い文章になってしまいましたことお詫び申し上げます。
私のリハビリの一環だと思っていただけたらと思います。
よろしければチャリンとしていただけたら、この上ない喜びです。何卒、何卒!