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【無になろうとする罠】

瞑想で、無になろうとする。
すると、なんだか緊張してきて上手くいかない。

そして、
「なんだか瞑想が上手くいかないなぁ」
「意識が深くならないなぁ」
と思い始める。。

困ってしまう。。。


無になるって、、なんなのよ結局

そもそも無とは何か?
それは、自分の意図が、無、ということではないだろうか。

もしそうなら、
無になろうとした瞬間に、意図が発生する。
つまり、無になろうとした瞬間に、無からは遠のく。

すると、
「意図が無の状態になりたければ、無になろうとしてはいけない」、となる。
なぜなら、
無に「なろう」としたとき、それはその時点で、思いっきり意図的だから。


例え話

たとえば、
本を読むことに集中できないとき、
「本を読むことに集中しよう」と思ったとする。

すると、ますます本の内容が頭に入ってこなくなる。
これは、「読む」が先で、「内容」が後になるから。

これを、「内容」が先で、「読む」を後にする。
つまり、自然と興味を持ってから、読み始める。

すると、本の内容は頭に入ってくる。

「読む」とは、内容が頭に入ってくることである。
しかし、「読もう」としたとき、その時点で、内容は頭に入ってこなくなる。
「読みたければ、読もうとしてはいけない」、となる。


じゃどうすりゃいいの

意図がなければいい。
そのために、自分以外の、「外部」に意識を向ければいい。
なぜなら、意図は「自分」から発生するから。

しかし「外部」に意識を向け「よう」とした瞬間に、意図が発生してしまう。

なので、「外部」に「興味を持つ」。
そして、「外部」を「受け取りたいと願う」。

そうすれば意識が向きやすい。

〜〜〜
興味

受け取りたいと願う

勝手に意識が「外部」(「自分以外」)に向く

意図がなくなる
〜〜〜


まとめ

「意図が無になりたければ、無になろうとしてはいけない」
なぜなら、
無になろうとしたとき、それはその時点で、思いっきり意図的だから。


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