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僕はいつだって2番手で

僕はいつだって2番手だった。
「1番手になれない」という意味での2番手だった。

ごく稀に東福岡や筑波といった出身校だけで判断した人に「エリートだ」と勘違いされることがある。ずっと試合にでてきたんだね、と。

全くそんなことはない。中学生のときも高校生のときもトップチームにちゃんと出られるようになったのは3年生からだった。だから当然それまでの3分の2はセカンド以下のチームにいたことになる。大学だってシーズンを通してコンスタントに試合に絡めたのは2年生と3年生の2年間だけだった。

2番と1番には大きな差がある。定期テストでの100点と99点とに大きな差があるように。昔、ある政治家が「一番じゃないとダメなんですか」と言って炎上したらしい。ダメかどうかはわからなかったけどそこには大きな差があると子どもながらに思った。

でも僕は2番手が悪いとは思わない。1番じゃないからなんだ。2番手には2番手なりの闘い方があるじゃないか。

僕はセカンドの立場が長かったからこそ、そういった状況に置かれたとき比較的前向きに捉えることができる。自分の弱点の克服や求められていること、目標との差分を明確にしてコツコツ埋めていく作業は嫌いではない(もちろん好きでもない)。そしてそういった状況で燃える性格であるからこそ生き残ってきたとも言える。

ではどうやって生きて残ってきたのか。振り返ってみて気づいたことがある。それは個人として組織内で1番になることが必ずしも正義ではないということだ。勘違いしてはいけないのは1番を目指さない、競技力を向上させようとしない、ということでは決してない。あえて強調してここで抑えておきたい。サラサラと流し読みされて誤解を招くことはどちらにとってもいいことではない。

そもそも僕が1番手2番手と言っているが、誰が1番で誰が2番というのは無い。それは選手の優劣というよりは、監督のファートスチョイス、セカンドチョイス、あとは雰囲気。雰囲気という言葉は抽象的な言葉だけど、何年も同じ競技をやってればなんとなく肌感覚でわかるようになってしまう。

何十年もサッカーをやってくれば総合的にみて今どの選手が調子がいいかハマっているかがわかるようになる。これはいいことでもあり、同時に辛いことでもある。

僕はたいていチームで2番手以下で、CBになってからも相方や他の選手のほうが評価を受けていることが多かった。東福岡でも筑波でも相方の方が名前が売れていた。実力も伴っていたから仕方ない。

ただインハイやインカレ、そういった全国的な大きな大会で僕は2番手でありながら1番になった。そのとき2番であることと1番であることが矛盾しないことを知った。

サッカーという競技の面白いところは、(システムにもよるけれど)CB(センターバック)が一度に2人や3人同時にピッチに立つことができること。3番手までが同時にピッチに立つことが可能な競技とも捉えることができる。

この数はスポーツの中では比較的多い。個人競技はもちろん1人であるし、野球ではピッチャーもキャッチャーも同時に1人しか出られない。組み合わせ次第で同じポジションが2人または3人同時に出られるサッカーは珍しい競技だと言っていいかもしれない。

だから僕みたいに身体能力が高いわけでもなく、後天的に獲得したスキルで闘う選手でも闘いようがある。1番にはなれなくても1番とは違うタイプの抱き合わせとして試合に絡んでいけることがある。

僕が目指しているのはこうゆうポジショニングであり、意味付けであり、振る舞いである。身体能力は高いに越したことはないけれど、低かったからこそ身につけたスキルや思考フレームが僕にはある。だからどんな状況でも、たとえ3番手でも4番手でもかまわない。どこかにきっと勝機はある。


何はともあれ今は踏ん張りどき。そして1年前に書いたnoteをここで成仏できて良かった。お盆だしね。

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