人生の幸福度を爆上げする3つの方法の話

単刀直入に幸せになるための条件を3つ書く。

・人と自分は他人であり、関係性があろうとなかろうと相手の人生は自分に全く無関係であると認識する事

・自分が幸せだと感じる条件を理由付きで言語化できる事

・他人や社会の目にあまり気を取られない事

以上。これだけだ。

ちなみに上から順に重要度で並んでいる。

では1番重要な「人と自分は他人であり、関係性があろうとなかろうと自分には無関係な存在だと認識する事」から説明していこう。

よく「他人と比較しない」という言葉を耳にする事があると思う。
まぁ一言で言うなら言いたいことはこれだ。しかし、この言葉だけでは「出来るなら苦労しない」で一蹴されてしまうだけだ。

そこで大切なのが、どうして他人と比較しないでいられるのかという視点である。

私は人と自分を比較しない能力だけは昔から長けていた。そしてこの能力は、ストレスをなるべく受けないように生きる防衛能力でもあるのだと気づいた時に、何故自分は自分と他人を比較しないで済むのかと言うことを考えた時に出てきた結論がこれだ。

「人と自分は他人であり、関係性があろうとなかろうと相手の人生は自分に全く無関係であると認識する事」

もうこの言葉に尽きる。
何故人はマウントを取ってくるのか、長年意味が分からずにいた。そもそもマウントという言葉が生まれるまで、私はマウント取られている事にさえ気付くことはなかった。何故なら他人の人生と自分は無関係だからである。他人の能力や実績を披露されたところで、私の人生にはなんの影響もない事なのだから。

例えば、私がこの日本にいて最低限度の生活をしている現実は、トヨタの社長が何百億と稼ぎ豪邸に住んでいようと変わらない。
逆に発展途上国でレベル1の生活をしている人の存在も、私の現実には何かを及ぼすことなんてないのだ。ただそれだけの話だ。


しかし距離が近い人間にはどうしても脳みそのバグが起こるようで、この事が理解出来なくなる人のなんと多い事だろうか。

あなたの知人が大金持ちになろうと、あなたの知人に恋人ができようと、あなたの知人があなたがとっても欲しかった何かを手に入れようと、それはあなたの生活とは関係ない事が9割だろう。

知人が大金持ちになったのはあなたの金を吸い取ったからではないだろうし、あなたの恋人は殆どの場合自分が好きな相手ではないだろう(むしろ知らない人であったり、一ミリも興味のない人だろう)、あなたのとっても欲しかった何かを持っている知人は、列に並んでいたあなたの目の前に横入りをして最後のひとつを持っていったわけじゃないだろう。

これは逆のことでも言える。
自分が金持ちになった事を自慢したところで他人が自分にさらにお金をくれるわけでもないし、自分に恋人が出来た自慢をしたところで友人からすれば知らない他人の話をされるのと同じだし、自分が欲しかった物を手に入れたからって知人が自分の幸福の分不幸になるわけじゃない。

とにかく、他人の幸福や不幸は自分とは無関係だし、自分の幸福や不幸も他人とは無関係だ。

自分の人生の幸福度は自分の中でしか変動する事はないとこの世の全人類が知るべきなのだ。
他人が幸せになったから自分が不幸せになる訳じゃないし、自分が幸せになったから嫌いなあいつが不幸せになるわけじゃないのだ。

個人の幸福度は他人と完全に切り離されている。
この事が分かりさえすれば、無駄に他人を妬んだり他人を羨む事はない。あとは自分が自分で幸せになるだけだ。


余談だが、「ずるい」という言葉は「羨ましい」という嫌な形での言い換えであることが殆どだ。

自分はモテないのにあいつはモテる、ずるい。
自分は金がないのにあいつは金持ちだ、ずるい。
自分は受からなかったのにあいつは受かった、ずるい。

ズルイって言葉は、まさしく他人と自分を切り離せていない状態の時に現れる。
ずるいという感情が湧き出たときは一旦それを飲み込み、自分が相手の何を羨んだのか、そしてそのずるい対象は自分と本当に関係する事なのかを考えたほうがいい。

また、その上でずるいという言葉を「羨ましい」という言葉にするべきだ。そうする事でマイナスの感情に囚われるところが、いいところに着目したプラスの感情にシフトしやすいからだ。

下記にこの考え方の例を挙げておく。


あんな不細工な俳優がモテてずるい

あんなに不細工なのにモテて羨ましい(自分はモテないのに…)

そもそもあの俳優がモテたところで自分の身の回りの恋愛対象がそいつに取られる訳でもない。自分とは全く無関係な事だ。


といった具合だ。

また、応用編でこんなこともできる。

あんな楽して稼いでいてずるい

俺はこんなに苦労しているのにあいつは楽している。羨ましい。

俺も楽して稼ぎたい。

じゃあ俺も同じ事をやってみよう。楽に稼ぐ方法を考えよう。

といった風に、他人と自分を分けて考えた上でこの思考になると、他人のいいとこ取りができるようになっていく。

この流れで物事を考えられるようになると、他人の幸せを素直に喜ぶ事が出来るようになる。
他人の幸せを素直に喜べるようになるだけで、人生は何倍も幸せになるのだ。


これができるだけでおおかたの人間は今よりもかなり幸せに生きる事が可能だと思う。

その上で更にステップアップするのに、次の思考を持つと良い。


・自分が幸せだと感じる条件を理由付きで言語化できる事


ここで有名な漁師と金持ちのコピペを貼るので、見たことのない人は是非一読して欲しい。


《メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」》


いかがだろうか?

コピペの中で漁師はガツガツと金儲けはしないが、余った時間で自分が求める幸せな生活を送っている。
MBA取得の旅行者は、時間をかけて金を稼ぎその先に漁師が今行っているような生活を送るのを目標としている。

結局、最後には同じ幸せを目指していた。それならば漁師の生活でいいじゃないか。というオチの話だ。

このコピペには様々な意見があると思うが、私の意見はこうだ。
「なりたい目標、すなわち幸せだと感じるものを明確にしするのが一番の幸せへの近道である」

と、いうとどうすればいいのだろうか?

その答えが、

「自分が幸せだと感じる条件を理由付きで言語化できる事」

となる。

あなたは自分が求める幸せというのは、なんなのかはっきりと言えるだろうか?

年収がいくら以上で、結婚して、子供を育てて…という幸せを描いているのであれば、何故それが幸せだと思うのかきちんと明確に言えるだろうか?

コピペの漁師のようなゆったりとした生活を送りたいと思う者も同じだ。何故それが幸せだと感じるか説明出来るだろうか?

言語化できないなんとなくの幸せの理想像なんてものは、大体が自分以外の何かに影響されているものばかりだと気づく事だろう。

あなたは本当に子供が好きなのか?


あなたは本当に働かない生活を求めているのか?

あなたは本当にタワーマンション最上階の生活を求めているのか?
あなたは本当に田舎でのスローライフを求めているのか?


あなたは本当にモテモテな人生を求めているのか?

あなたは本当に一途な配偶者を求めているのか?

求めているなら何故それを求めているんだ?
何故そこに幸せを感じるか説明出来るか?
それは本当に自分の意思か?
他者の存在と比較する為の幸せじゃないか?

と、ここまで考え抜いた先に本当に自分が求める幸せ像が明確になり、真の意味で幸せな生活を送る事が可能なのだ。

ちなみに私の幸せは、寝る時に次の日の仕事を考えずにぐっすりと眠れ、それなりに友人との会話や趣味、食事を楽しむ余裕がある生活を送る事だ。これに尽きる。

私は前職の際、ストレスから食欲を半年間失った。幸せな睡眠も失われた。友人との会話の最中も仕事が気になり、感受性が鈍りどんな趣味も楽しめなくなった。

その時に気づいたのだ。私にとっての幸せとは、ストレスがなく、時間に余裕があり、些細なことに幸せを感じる事ができる生活だと。

前職は給料はよかった為、仕事を辞めて年収は100万円以上下がった。しかし私はそこに後悔はない。
お金とは生活に必要な以上は所詮幸せを感じられる何かとの引換券でしかない。幸せを感じる機能を失ってしまっては本末転倒なのだ。

私は自分の中でこの答えに圧倒的自信があり、芯が通った思想である。だからこそ、幸せの形にブレがない。人が何を言おうと、憐まれようと、これこそが私の幸せな生活だと胸を張って生きる事ができる。

だからこそ自問自答し、他者との比較の為じゃない自分の真の幸せ像を見つける事がなにより幸せの近道となるのである。


そして三つ目。


・他人や社会の目にあまり気を取られない事

これはもうその通りだ。一つ前の話の通り自分にとって真の幸せとは、を突き詰めていくと往々にして世間的な幸せとは離れてしまう事があるだろう。
そんな時、自分と他者(世間や社会も含む)は全く無関係な存在だということ、そしてきちんと言語化された他者との比較ではない芯の通った幸せの形を持つことで、他人の目が気にならなくなる。

まぁそれでももちろん100%気にならなくなるなんてことはかなり難しいし、この記事を書いている私でさえ出来てはいない。
社会の目を気にするということは、集団生活を基本とすることで自然を生き延びた人間の本能に刻まれた行為なのだろうと思う。

それでも、理由の不明瞭な社会が押し付けてくる幸せ像を目指して生きるよりはよっぽど幸せな生き方になる。
幸せとは、星が降る夜と眩しい朝が繰り返すものじゃなく、もちろん社会的に幸せとされるものや他人に影響されるものでもなく、自分の中だけできっちり確立された幸せ像を現実化していくことなのだと私は思う。(back number が 好き)

あ、もちろん考えた結果社会的に幸せとされる像と自分の幸せが同じであればそこを目指すのは最高だ。社会的な向かい風なく幸せを目指せるってのは、非常に幸せなことだから。


以上、この3点をきっちり出来るとまぁあまり他人と自分を比較しなくなり、人生の幸福度は格段に上がると思う。
長くなったが、自己と他者と社会をきっちり別のものだと見なす意識が、私の知りうる限りの幸福度を爆上げする方法だ。是非、全人類に試してもらいたい。

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