<第16回>「愛社精神」の行方 ~ 会社と社員の間にある特別なもの


 前回の投稿では「離職や退職」について扱い、その理由について少し考えてみました。

 今回は、離職や退職を思い留めさせる理由だったり、会社で働くときのやる気に影響を与えたりすること、つまり「会社と社員の関係性」、ちょっと昭和的な古めかしい言葉で表現すれば「愛社精神」についてです。

 この「愛社精神」について英語では長らく”Loyalty”と表現され、カタカナ英語で普通に日本社会では「ロイヤルティ」と読み替えられてきました。そして、このロイヤルティについては、愛社精神では漠然としているからか、さらに「忠誠心」という、真面目に考えればサムライが活躍した主君と武士の関係を想起させる訳語でずっと語られていたのです。

 しかしどうでしょう。今改めて、社員が会社に抱く特別な感情、どちらかと言うとポジティブな感情について、「忠誠心」あるいは「ロイヤルティ」と表現するのは何だか変な感じがしませんか?

 もちろん、単に会社に対して自分の労働力を売る対価として給料をもらう、といった極めてドライな関係では、社員本人もあまり心地よくはないでしょうし、良い仕事は出来ないでしょう。

 そもそも会社には「経営理念」が存在します。
 社員が皆、この経営理念を意識し、この経営理念というものを共通の行動の規範として企業活動を営み、社会に貢献していく・・・・。こうした今日的な社員と会社の関係性においては、ロイヤルティ(≒忠誠心)などという社員と会社の関係性が一方通行のものではなく、新たな概念、そしてそれを明確に表現した言葉が必要になってくるはずです。

 その言葉については、色々な人が色々な表現で表していますが、私自身は、「「エンゲイジメント(engagement)」という言葉が相応しいのではないかと感じています。よくあることですが、こういう新しい概念には日本語には良い言葉が存在しません。
 このエンゲイジメントという言葉、英語の辞典によると、あるもの(人)とあるもの(人)が関係しあっていて、互いに互いを理解していること、そしてその関係が対等であること、がポイントであるようです。

 つまり、結論を先取りして言えば、これまでのロイヤルティのような滅私奉公といった古臭いことを想起させる一方的なものではなく、「個人(社員)と組織(会社)が一体となり、双方の成長に貢献しあう関係」のことを言うのです。


 ちょっとここで、昭和の時代の「日本株式会社」を形作った、ロイヤルティに関連した具体的な事例、会社風景、会社の仕組みを列挙してみましょう。

 ・社員旅行、社内運動会、社歌、社宅、社員食堂、家族主義、社内貯蓄、社内住宅融資、終身雇用慣行、年功序列、長時間労働、御用組合、ローテーション、過労死、副業禁止・・・・。

 今でも残っていたり、形を変えて合理的な仕組みとして利用されている場合もあるでしょう。会社も色々、昭和の色が色濃く残っている企業文化もあれば、上記の日本株式会社の仕組みなんて全く残っていない会社もあるでしょう。

 しかしながら、若い人が聞けば、「え!、信じられなーい」と驚愕するような理不尽なことが昔の会社にはたくさん存在しました。面白いので、多少笑い話的に書いてみれば、私が最初に就職した金融機関の場合には、全国各地に存在する支社(支店)を3年といった期間で異動し続けるような仕組みになっていたので、そうした理不尽さが気にならなくなるように、つまり育った家族や地域との関係を一旦分断するような意味も込めて、入社すると、まず独身寮に原則入寮させられ、そこで社畜になるための訓練を受けるような仕組みが存在しました。

 上記の表現は多少悪意のある言い方ではありますが、少なくとも当時(40年昔)の人事部の人は、そのように公言していたのを覚えています。私自身は本社や寮の存在する東京出身で、寮に入る必然性もなく、比較的リベラルで、ロイヤルティなどという古臭いことを言わないような先輩方に囲まれて、また個人的にもこうした「社畜世界」には当時から嫌悪感を持って避けるように行動していたこともあって、社畜世界とは距離を置いて仕事をしていくことが出来る幸運の中でキャリアを積み上げる幸運に浴したことも最初の会社で存外に22年も勤めることができた原因かとも思います。

 社内ゴルフも断り、宴会の二次会にも行かず、仕事が終われば一目散に会社を後にするという行動パターンを貫くことが出来ました。
 会社の同期が、「ウチの会社はさ・・・」と言うのに違和感を覚え、社外の人たちとの交流をキープし、むしろ交流範囲を拡大することによって、社畜になる危険を近づけずに済んだように思うのです。


 過去のことは過去とし、上記のような昭和の「愛社精神」が、一旦破壊尽くされたような今の時代、ロイヤルティではない、エンゲイジメントであれば、あるいはそうしたエンゲイジメントという関係性を認めてくれる会社なら、昔と違った意味で、会社や会社の商品を愛し、自信を持って社業に身を入れていく、という面での「愛社精神」ということもありうるのではないでしょうか?

 このコラムでも再三書いているように、人生100年時代、会社は社員の一生を引き受けることはもう出来ません。会社も社員も互いに相手に寄りかからないで、大人の関係性を保ちながら「共生」していかなければならないのです。

 社員は自分の一生のビジネスライフ全体について、自分自身で責任を持ち(あたり前のことです)、会社は社員のパートナーとして、社員のキャリア開発に関してサポートしていく・・・そして、そういう会社に対して社員は何らかの愛着を感じ、自分の成長と会社の成長を同時に達成できるよう努力していく・・・・。

 そう考えると、社員にとって会社というものは、自己実現やキャリア形成を図っていく「場」あるいは「器」(vehicle)であり、会社は、そうした場なり、器を提供し、思う存分自己実現して成果を出してもらい、もって会社自身も成長していく、そんな美しい関係性=エンゲイジメントが可能なのではないかと考えるのです。

 しかし、そんな美しい関係性が、このグローバルに激しい競争のある社会において成立するのでしょうか?
 
 世界を席巻するグローバルな資本主義社会の最先端の企業群でちょっと考えてみたいと思います。
 例えば、「アマゾン」です。

 ・昨年4月に「アメリカのAmazonの社員5000人以上が、経営陣に対して『より大胆な地球温暖化対策』を求める書簡が4月10日、公開された。温暖化対策で『私たちは、地球温暖化対策のリーダーになるべきだ」と訴えている。』というニュースが世界を駆け巡り、
 ・9月には、「米アマゾンの社員1006人はこのほど、同社に気候変動への取り組みを強化するよう求め、今月20日に世界117カ国で行われる抗議デモ『グローバル気候マーチ』に参加すると発表した。」、さらに
 ・1月19日には、米アマゾン・ドット・コムの350人以上の従業員がインターネット上の ブログサービスの「Medium」に従業員がそれぞれ、氏名と役職とともに抗議文を掲載。同社の地球温暖化対策への取り組みについて公の場で批判した2人の従業員に対し、アマゾンが服務規程を根拠に、雇用契約の解除も含めた警告が発せられた。

愛社精神

 さて、このニュースをどう解釈したら良いのでしょうか?
 9月の「グローバル気候マーチ」のときに、なんと社員たちが「アマゾンなら迅速かつ大胆な取り組みができるはずだ。気候危機を回避するために、世界の人々もアマゾンが大きな一歩を踏み出すことを望んでいる」と社員が主張していることも報じられています。

 このエピソードは、現在進行形のものであり、また長年経営者にとって最も恐ろしい、株主までも無視して経営を進めてきたジェフ・ベゾスのことですから、すんなり、「そりゃあ、社員の言う通りだ」とは言わないでしょうが、元々、「顧客最優先」を謳ってきたベゾスだけに、こうした社員による社会問題への対応に関してはいずれ対応しなければいけない局面が出てくる可能性もあります(このあたりの事情についてご興味がある方は拙著<電子書籍https://www.amazon.co.jp/GAFA%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F-%EF%BD%9E-%E4%BC%81%E6%A5%ADDNA%E3%81%A8%E6%88%90%E9%81%82%E3%81%92%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8-%E5%B0%8F%E5%AF%BA-%E6%98%87%E4%BA%8C-ebook/dp/B07QHRR2QX/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=GAFA%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B&qid=1580806320&sr=8-2、紙の書籍https://www.amazon.co.jp/GAFA%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F-%EF%BD%9E-%E4%BC%81%E6%A5%ADDNA%E3%81%A8%E6%88%90%E9%81%82%E3%81%92%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8-%E5%B0%8F%E5%AF%BA-%E6%98%87%E4%BA%8C/dp/B07QYX1HPY/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%B0%8F%E5%AF%BA%E6%98%87%E4%BA%8C&qid=1580806213&sr=8-1>を参照下さい)。

 アマゾンの社員たちは、地球温暖化を始め、貧困や差別の根絶などを謳ったSDGsへの積極的な関与を自分が属するアマゾンに求めているわけですが、これは、彼らアマゾンの社員にとって、会社が、自己実現や社会改革の場や器であるということなのだということを示しているのだと私は思います。
 そして、同時にアマゾンという会社は、そういうことが可能であるからこそ、社員としても、会社にはっきりモノ申しているのだろうと思うのです。

 こうした動きは、生き馬の目を抜くような、そして今世界の産業を牽引して大きな利益を挙げているIT巨人に限っても、アマゾンでのことに留まらず、”Don’t be evil.”という行動規範のグーグルにおいても起こっているものです(同じく拙著参照)。会社を愛しているからこそ、自分で働いている会社が誇れる会社であって欲しいからこその社員の行動なのだと思います。
 これが、今の時代の愛社精神でなくて何でしょうか。

 ポピュリズム、日中貿易戦争・・・・というように何かと暗いニュースが世界を駆け巡っていますが、企業を巡る状況については、企業が利益を挙げるために何でもする、という世界から、企業、社員、社会、それぞれが、互いに関与・貢献しながら少しでも幸せな世の中になるように改善の萌芽が見えてきているのではないでしょうか。

 SDGsの社会では、社員と会社という二者の関係には、「社会」というものが加わった三者のものとして規定しなおさなければならないのでしょう。
 それぞれが、互いにエンゲイジするような関係、新しい「愛社精神」は、社会というものも巻き込んで、進化した資本主義の形を模索しているようにも思うのです。

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    <ターンアラウンド研究所https://www.turnaround.tokyo/ 小寺 昇二> 

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