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【テュルク世界の風景】チェボクサルで見たチュヴァシ語(後編)

Ырӑ каҫ пултӑр! ウィロ・カシ・プルドル(チュヴァシ語で「こんばんは」)

チュヴァシ語も研究するタタール語講師 boltwatts です。前回に引き続き、2016年6月に訪れたチュヴァシ共和国の首都チェボクサルで見たチュヴァシ語を紹介していきたいと思います。

食堂で昼食をとった後、観光名所のチェボクサル湾を目指して歩き始めると、劇の宣伝看板が目に入りました。

劇の宣伝看板

Сансӑрах санпа(サンゾラフ・サンバ)「君なしで君と」

どんな劇なのか、チュヴァシ語が分かるようになった今になって気になってきました。

分析すると、сан-сӑр=ах сан-па [君-なしで=(強調) 君-と] となっています。-сӑр/-сӗр は欠如を表わす接尾辞で、トルコ語の -sız/-siz/-suz/-süz にあたります(チュヴァシ語の r とトルコ語の z が対応していますね)。=ах/=ех は前の要素を強調する付属語です。ここでは、「君なしで」というところが強調されています。

通りの名前

К.Маркс урамӗ(カルル・マルクス・ウラメ)「カール・マルクス通り」

通りの名前を見てみると、二言語表記になっていました。урам(ウラム)「通り」は、お隣のタタール語と同じですね。ちなみに「通り」は、お隣のマリ語(ウラル語族)では урем(ウレム)、ちょっと離れたウドムルト語(ウラル語族)でも урам(ウラム)です。

お土産屋さんの屋根

Чӑваш парнисем(チョヴァシュ・パルニゼム)「チュヴァシのお土産」

お土産屋さんの連なる通りを歩いていると、屋根にチュヴァシ語が書いてありました。-сем は複数を表わす接尾辞です。トルコ語の -lar/-ler とは全く違う形をしていますね。

このあたりで、小さなチュヴァシ共和国の旗を買いました(もっといろいろ買えばよかったです)。

チュヴァシ共和国の旗

お土産屋さんの連なる通りを歩いていくと、湾に面する大きな通りに出ました。そこには、何やら大きな看板が。

大きな看板

Ҫӗртме уйӑхӗн 24-мӗшӗ  Республика Кунӗ ячӗпе
(シェルトゥメ・ウヨヘン・シレム・トヴァットゥメジェ リスプブリカ・クネ・ヤヂェベ)
「6月24日 共和国の日おめでとう」

チェボクサルを訪れていたのが6月19日だったので、その5日後は祝日「チュヴァシ共和国の日」だったんですね(1920年6月24日にチュヴァシ共和国の元となったチュヴァシ自治州が発足しました)。

この看板のあるあたりは広場になっていて、その名も「赤の広場」。バス停の名前も二言語表記されていました。

バス停

Хӗрлӗ тӳрем(ヘルレ・テュレム)「赤の広場」

市の中心部ということで、近くには大きな博物館もあります。

Чӑваш наци музейӗ(チョヴァシュ・ナツィ・ムゼイェ)
「チュヴァシ国立博物館」

せっかくなので入りました。展示物の中には、チュヴァシ語が書かれたものもありました。

博物館の展示

Вӗренӳ пирӗн пурнӑҫа ҫутта кӑларать.
(ヴェレニュ・ピレン・プルノジャ・シュッタ・コララチ)
「学びは我々の人生を光の下に導き出す」

ソ連初期のものでしょうか。レーニンの有名な標語 Учиться, учиться и учиться「学べ、学べ、なお学べ」が思い出されます。

博物館を出た後、近くにあるビール博物館に行きました。

ビール博物館

入口はビール樽の形をしています。ここには飲食店も併設されていて、私はビールではなくクワスを飲みました。

ビール博物館で頼んだクワス

クワスの色で見えにくいですが、Кӗр сӑри(ケル・ソリ)「秋のビール」、Уяв(ウヤヴ)「祭り」と書いてあります。どうやら、そのような名前の祭りがあるそうです。

夏の暑い日、歩き回った後に飲むクワスは格別でした。

この後、当時留学していたお隣タタールスタンの首都カザンにバスで帰りました。

「チェボクサルで見たチュヴァシ語」はこれで終わりです。読んでいただき、ありがとうございます。次回は、バシコルトスタンの首都ウファで見たバシキール語について書こうと思います。

Тепре тӗл пуличчен!
(テプレ・テル・プリッチェン)
「ではまた!」

(文:菱山 湧人「テュルク友の会」メンバー)