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"白昼夢 / A daydream "


この記事は東京アナログに寄稿された作品 
"白昼夢 / A daydream" 
について、140字に収まらない戯言を綴る。
参照 https://tokyo-analog.com/turkey_vol27/

【東京アナログvol.27より】

抑圧された情念は解放を望むも心の底で澱となり漂う
鬱屈した日々からの脱却を求めた逃避行
眩い陽射しに目を奪われたのか、ただただ夢の中に沈むのか

Repressed passions, though they desire release, become lees and drift in the depths of their hearts.
An escape from the depression of the day.
Are they blinded by the dazzling sunlight or do they simply sink into a dream?


これは作品の最後に掲載されているキャプションである。
正にこの撮影の頃、私は夢の中を彷徨っていた。

【脱サラ写真家】

3年ほど前から会社員と並行し、本格的に写真家としての活動を始めた。
写真が好きで憧れや夢だったというものあったし、退屈な繰り返しの毎日に嫌気がさしていたのもあった。
「好きなことで食っていく」「人生一度きり」などと、そんな月並みなキャッチフレーズだけでは生きていくのは難しいので、趣味としての撮影から生業としていく為に3年間、粛々と準備しマネタイズ化させて、今年から写真で食っていこうと決意し、去年12月に退社し、12年程の会社員としてのキャリアを捨てた。私がもしミニマリストだったら真っ先に労働を捨ててるだろう。いらないものは全部捨てる。


【マーフィーの法則】

人生とは不思議なもので会社員と兼業で睡眠時間を削ってなんとか捻出した時間内でやってきた事が、これからは毎日できる!これで更に仕事が増えるぞ!となった途端に全てがダメになる。思い描いた淡い期待とは裏腹に毎月の数字はどんどんと小さくなり、生活への不安が日に日に大きく暗い影を落とした。人生なんてそう甘くはなかった。辛いし酸っぱいしなんなら苦みもある。

フリーランスは自由だ。嫌な上司もいなければ、定時もない。

その代償にボーナスも有休、来月の振込や明日の仕事の保証すらない。


私は不安と空虚な時間の堆積の中で押し潰されそうになっていた。暗闇の中を手探りで浮遊するも手のひらは空を切る様な無慈悲な感覚。将来どころか、来月は生きていけるのだろうか…頭の中をグルグルと渦をまく。自暴自棄になりそうでもあったが、霞も糞もまだくらいたくはない。

そんなギリギリで粉々に砕けたココロで、この撮影の日程を迎えた。撮影は名目で逃避行したかったのかもしれない。現実から、街から、自分から…遠く離れて、逃げたかった、消えてしまいたかった。全てを忘れて眩しい光の中で溶けて消えてなくなってしまえば…。


【写真家は静止画の夢を見るか?】

写真は撮る人間の心を写すとはよく言ったもので、この時の写真は私の心の大きな揺らぎを投影していた。
私は被写体に自分を重ね合わせていた様だ。
私は写真を撮りながら、そこに自分の何かを撮っていたのだろう。


朽ちた廃墟、廃棄されたゴミ、砕けたガラスや陶器の山、動物の死骸、淀んだ池、波のない寂れた船着き場。これらは私の自画像には相応しいであろう。

この撮影日はとても暑く、眩しくてキラキラした日だった。 だけれども、私の目には薄暗く漂う白い霧の様に見えていたのだろうか。 写真は昼とも夜ともいえない光が暗く場面を照らしていた。

自尊心を失った人間は他人の目を恐れるのだそうだ。
選んだ写真の全て、被写体は一度としてこちらに目を向けてはいない。
人に自分の姿を見られる不安、自分が前を見ることへの恐怖からなのか。
はたまた私の目に写っている場面は私の瞼の裏にあった妄想なのか。

それでも人間や自然のありのままの美しさは眩しく輝き、歩むべき道を照らしてくれた。美しさに説明はいらない。音が消えた湖畔のキラキラと輝く水面や花の色、濡れた土の匂い。感じたままにシャッターを押せば写真は撮れる。誰にでも簡単に。


【現実と夢の狭間】


あの美しい湖畔は永遠に続く様に思えるほど長く暗いトンネルの先にあった。微かな光が遥か遠くに薄っすらと、手探りで進む。

あの日の事はあまり覚えていない。夢の中にいたような感覚だった。写真を見返しても現実感はなかった。白昼夢は昼に見る夢。


私は今も、夢の世界に生きている。



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