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ここから⇒人生の広場"灯台を見にいく"

前回が海に夕日を見にいく話だったので、今回は灯台について書いてみたい。まず最初に言っておきたいのは、灯台は日中に見るものではなく日没後に見るべきものだ、ということ。どういうことかご説明します。

なぜ灯台は日没後に見るべきなのか?

灯台は白い。白くて長い。
船の航行のためにあるから、かならず海に面している。
白くて長い灯台は、海と空の青に映えて美しい。

だから灯台は観光地図や案内にも載っていたりする。
そういう灯台をカメラに収めるのが趣味という方もきっとおられると思う。

だけど、少なくとも僕の場合は昼間の灯台を見て美しいとは思っても、ハマるというところまでは行かなかった。
まあ近くにあったら見に行ってもいいかな、という程度だった。

しかしそれは、それまで昼間の灯台の姿しか知らなかったからだ。
これは変な例えかもしれないけれど、昼間の灯台を見るというのは、寺を見に行って仏像を見ないのと同じようなものだ。
もちろん別に寺だけ見たっていいんだけど、やはり仏像あっての寺でしょう。
寺よりも仏像がメイン、という人だって多い。
それと同じで昼間の灯台だけ見たって景色としてはいいんだけれど、
その真髄を味わうには、やはり点灯した姿を見なくてはならないのだ。

かくいうぼくも、灯台という言葉に胸がときめくようになったのは点灯する瞬間を見てからだ。それは能登半島輪島市にある、竜ヶ崎灯台という場所だった。
ちょうど日没前だったから夕焼けも見れそうだし、なんだか格好いい名前だしこれは行かねばなるまい、と草に覆われた人気のない階段を登った。
灯台は夕闇の中でぽつんと佇んでいた。
それほど大きくはない。かと言って小さいというほどでもない。
標準サイズくらいの大きさだ。
高台にあったから眺めも良く、しみじみと夕暮れを味わった。

そのときどうせなら点灯するところも見ていこうと思った。
そういえばこんな間近で動く灯台を見るのは初めてだ。
スマホで調べてみると、灯台は日没と同時に灯り始めるとあった。
今か今かと灯台を見つめていると、とつぜん意外なほど眩しくライトが点灯し、ゆっくりと回転し始めた。

そのとき、その姿を見て不思議に感動している自分をぼくは発見した。
毎日誰も来そうもないこんな場所で、
真夜中にひっそりとその役割を果たし続けていたのか…
そう思うと謎の感動がこみ上げてくるのを抑えきれなかった。

灯台守という失われた職業

今では日本の灯台はどれも無人化されているが、昭和の時代は有人が基本だった。毎日灯りを付けたり消したりレンズを磨いたり、といった整備を常に人が側でやる必要があったからだ。

灯台は町から離れた海沿いの岬にあり、交通の不便な場所に位置することも多い。そうした場所まで毎日人が通って管理をするのは大変だ。だから灯台に住み込みで管理をした。
場合によっては灯台守の家族ごと住み込んで、空いた時間で畑を耕して自給自足のような生活をしていたところもあったようだ。
そうした人々は灯台守とか、灯台職員と呼ばれた。

灯台を見にいくと、今でも灯台管理をしていた人の住まい(灯台と一体化されている場合がある)とその生活の跡が残っていたりする。
各灯台には海上保安庁が設置した案内板があるので、それを読むとそうした灯台の歴史をその場で知ることができる。

かつては人が傍にいたのに、今ではひとりぼっちで仕事をしている灯台。
人と機械が二人三脚でタッグを組んでいた時代から、近代化に伴ってそれぞれの道を選び、別れることになった運命。
そこにロマンを感じないわけにはいかない。
(もちろん、無人化とはいえ今でも定期的に巡回管理はされている)

善性のアイコンとしての灯台

そんな灯台は創作の題材として見かけることも多い。
英語ではLighthouseと言うので、どこかでこの単語を見かけたことがある人もあるだろう。英語の辞典でもそういうのがありますよね。

音楽だとぼくの好きなデヴィッド・バーンには『The Lighthouse』という曲が、パトリック・ワトソンというシンガーソングライターには『Lighthouse』という曲があるし、アーケイド・ファイアには『The Well and the Lighthouse』という曲があったのが思い出される。

物語だとレイ・ブラッドベリの短編小説に『霧笛』という有名な作品がある。
これはブラッドベリの恐竜愛が生んだ作品とされているけれど、改めて読み返してみるとやっぱり灯台への愛情も感じ取れる内容だった。

最近読んだものでは、森泉岳士さんの『夜よる傍に』という漫画の作中に出てくる絵本で灯台と灯台守が登場していたのが印象深い。

灯台が題材として取り上げられるとき、共通して感じられるのは
「善性のアイコンとしての灯台」
ということになるだろうか。
灯台は定められた時間にかならず点灯する。
そこに船があろうとなかろうと、雨の日も嵐の日も光を灯し、
行き先を示し続ける。
まるで星の運行のように、規則を忠実に守り続けること。
灯台は点灯するとき、「人はそんな存在を作り出すこともできるんだよ」という事実をもわれわれに示してくれるのだ。
そうした姿に、人は自分たちが本来持っている善性と呼べそうな何かをきっと見出しているのだと思う。

実はぼくが灯台を好きになって、まだ一年ほど。まだまだ灯台初心者だ。
この前図書館で灯台の写真集を見ていたら、北海道には大きな灯台がたくさんあるということがわかった。
夏の北海道を一週間ほど掛けて車でドライブして、灯台を見て回る。
それは僕がいずれやってみたいことのひとつだ。

マキタ・ユウスケ

『ここから⇒人生の広場』は毎週2回更新しています。
バックナンバー
第1回『ここから⇒人生の広場』
第2回『リップクリーム』
第3回『ベンチ』
第4回『夕日はどこに沈む?』

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