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ナラネバの鎧

こんばんは、卯月螢です。
自分の感覚と向き合いながら、絵や詩や文章を制作しています。

音声を上げましたが自分なりにまとめておこうと思います。

ナラネバの鎧、個人的な思いなのですが
「やらなければならない」
そこの自分が主語としているかいないかで大分違うと思います。

過去・・今でも時々になったと思いますが、無い事が多かったと思います。
自分以外の誰かの様子に目がいってしまう気質なので、まず動いてしまう。
褒められると嬉しくて、どんどん察して行動をしてしまうのでその仕事は何時しか私がやる事になってしまう。
「人の役に立てる」それが自分の人生の意義になってしまい、個人がおいていかれる日々でした。
何をやっても、褒められても満足できない。
何かが満たされない、乾いた日々。
今思うと「人の役に立てる」=「認められている」
幼い頃から今まで「分からない」と言われた言葉が棘として残っていて、自分自身が何処かに行ってしまい、もう十分なのに動き回っていたかもしれません。
最近は気質の事もあり、疲れやすいという自覚が出てきて休むようにはなりました。そして、少しずつ無理な我慢を辞めるようになりました。
我慢というのは怖いもので、気を付けないと感覚が麻痺してしまいます。
誰が見ても具合が悪いのに、仕事に行く。
そうしなければいけない事情があって一度我慢してしまい乗り越えられたから、もうそのレベルの体調の悪さは休んでいいとはならない。
片頭痛で目が回り吐きそうになって電車で帰宅、食事もとれず気絶するように就寝する・・なんて普通では無かったな・・と今では思います。

昨年に親が亡くなり、お世話になった施設の退居作業をしていた時に・・
丁度その頃が七夕だったのでスタッフさんに短冊を手渡されました。
私の体調を心配し、健康を願ったものでして・・
自分が主語として人生にいなかった事にやっと気が付きました。

自分の気質と体調を理解し無理をしないように気を使うと、疲れや体調の悪さに昔より気付くようになり休み時間が増えました。
しかし、不思議と睡眠が良く取れたり食事が美味しく感じたり、制作に関しては集中力が上がり制作速度が上がりました。

ヤラナケレバナラナイ、行動の全てにその言葉が付きまとい
何時しか身体の感覚を硬化させ鎧の様に自分自身を隠していまい
視野を狭くして、自分の限界値が分からなくなってしまう

限界を知れば、それを補給するにはどうしたら良いかという考えが浮かぶ。
諦めるのではなく、行動する為に休んで力を貯める。
今はまだ手探りですが、少しずつ鎧を脱いでいる最中です。

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