2021/12/28 「近頃のナンパ」
YouTubeにて1980年代アニメーションの金字塔と名高い「AKIRA」が公開されていました。
年齢制限あるんだ、わお。しかも公開期間きょうまでだったね。
随所で傑作と呼ばれ、有名なバイクシーンはいろんな映像作品でオマージュされているこの映画はいつか見たいと思っていた。
そんな折に、期間限定無料公開に合わせてVTuberの九藤周さんが同時視聴会のお誘いをしていて、これ幸いと参加しました。とても楽しかった。
人と映画を見るの、すごく楽しい。映画という非日常を描くメディアには、みんなで遊園地に遊びに来たみたいな楽しさがある。
それで、せっかく見た体験をもっと特別にしたかったのでその感想を残しておこうかな、と思い立ってこの文を書いています。
(以下discordでコメントしあい損ねた感想の書き起こし)
まず、全体を通してギャグが盛りだくさんで楽しかった。もっとシュールな映画かと思っていた。金田がとても気さくなやつで、さすが慕われるリーダーだなって感じた。
拘留所で手りゅう弾のピンを引いたゲリラ員が歯を食いしばる表情、すごく好きだな……
うちの父親は叱る時すぐに手を上げるタイプだったのだけど、いつだったか殴られてもいいって覚悟をして歯をかみしめてにらみつけた時、そのまま膠着状態になって父親はすっと拳を下ろした。それから父親に殴られなくなった。それを思い出した。
そもそも、映画自体は初見だけど、映画を紙芝居で紹介する動画でじつはあらすじのみ知っていた。(このnoteでも、特にネタバレは気にしないです。)したがって、非常にグロテスクで幻想的な映画だと思っていたけど、思ったより心理描写や因果関係がしっかり描かれていて見やすかった。
そして、当たり前だけどアニメーションがすごい。武装ヘリのローターの風圧に押し倒される人々たちからこっちまで風を感じた時にはびっくりした。
そしてAKIRAに出てくる人間、頑丈すぎるでしょ。冒頭の暴走族の乱闘シーン、時速云十キロ出してるバイクに引かれて鉄パイプに殴られて病院送りで済むって。でもまあ任侠映画じゃないし、少年の人間模様を描くのに死はおいそれとは出てこない。だからテロリストのケイは平気で人を撃つし、少年金田は好きなオンナを守るためにビームを打った。
鉄雄は、いつまでたっても力に飲み込まれた小物だった。最期、本当に力に飲み込まれてガールフレンドも飲み込んでしまった鉄雄が言った言葉が「助けてくれ」だった。「殺してくれ」ではなかった。金田はある時を境にきちんと鉄雄を殺しに来ていたのに、鉄雄自身にそのスイッチングはなかったんだなと思った。
みんなのアイドル(偶像)、アキラについて。30年前の事件からアキラの名前は一般に伏せられていたはずなのに、東京の各地で謎のアキラ崇拝が自然発生するのが、人々の意識や世界の底に元から存在していたルールみたいで不気味で良かった。
あとは個人的な感想について。博士、クソすぎないか??????
自分はいま大学で原子炉の設計に関する研究室にいる。原子力とは、AKIRAの力には劣るかもしれないけど強力で未知で可能性に溢れたエネルギーである(と習った)。
まあ大学四年の後期になっても単位を取り終わってないんだけど、そんな腐れ大学生でも「社会倫理を遵守しましょう。危険物の取扱には注意しましょう。そのうえで持続可能な社会を作りましょう。」って順番を叩き込まれる。
それを博士、あなたって人は。鉄雄の暴走についてフェイルセーフがなってないし、アブない薬を平気で使うし、そのデータを見てひとりで「陽子崩壊が起こっている」「未知の粒子が生まれている」ってはしゃいでるし。確かにワードを聞いただけでエネルギー問題どころか宇宙物理学すらひっくり返るようなことが起きているのはわかるけど、だからこそ慎重になるべきだろ。
というか映画でもだいぶ序盤で大佐が「コントロールできない力は持つべきではない。」ってちゃんと言ってる。本当にそう。本部では嫌われているのかもしれないけど、問題の解決にあたる大佐はちゃんと大人をしていたので好きになった。とちゅう凄みで修羅場のりきるし。
そう考えると、20世紀の終わりに予想された21世紀より、ぼくたちが生きている21世紀は少しだけよくなっているのかもしれない。
あとこれは超能力やら爆弾やら銃撃やらでめちゃくちゃになる戦闘シーンを見て感じたさらに個人的な--フォビアなんだけど、病院とか基地とか建設予定地とかの、綺麗な建物の床や壁が瓦礫や埃だらけになって潰されて崩壊するのを見るの、嫌すぎる~~~~~~~~~~~~~~~
自分が別に建築業に関わったことがあるわけではないのに、ああいう風にコンクリとか鋼材で整えられてる建物が壊されて、それを戻す労力を考えるとうひ~ってなる。
あんなにきれいだったのに。あんなに。それが。もうね。ふ~~。(嫌)
今思い出したけど、学生時代に地震で崩れて安全のために土足になった校舎を歩いたからかもしれない。一度砂だらけになった建物は、そう簡単には内履きには戻らない。
事前にWIKIとかを読むと、子供たちの成長を描きたかった、みたいなことが書かれていて、それに対しては言う程成長したかな?という感想だった。
東京がぶっ壊れて、鉄雄がいなくなって、ケイが来て。風景と人間模様は変わったけど、少年たちの内面がどれほど成長したのか、自分ではうまく追えなかった。
ぼくはSF映画をみるとき、「劇中の社会がどんな状態に留まっていて、選択によりどこに向かおうとしているのか、もしくは向かってしまった後なのか」というのを見極めるのを楽しみにしている。
この映画をそれに照らし合わせると、人類はAKIRAという結節点について凍結という拒否を示したけども、鉄雄の登場により再度の選択を迫られ、失い、また日常へと戻っていった、と言える。
無視すること、拒否を示すこと、日常を続けることって刺激的じゃなくてつまらないかもしれないけど、過ぎ去った非日常の中に別れや成長という痛みが確かにあって、自分にとってはそれを見る映画でした。
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