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温かさを求めて雪山へ:身延山の話

今年の1月、私は職場のパソコンで天気図と
にらめっこをしていた。
「今週末がチャンスかもしれない・・・」

雪山初心者だった私はレベルアップを目指すべく、
降雪のタイミングを見計らっていた。

しかし、ただ雪が降ればいいという話ではない。
降りすぎると不安だし、
少なすぎてもつまらない。
20-30cmのちょうどいい塩梅の積雪はどこにあるのか。
ここに雪山の難しさがある。

山梨県南部にある身延山に目をつけた。
ここなら麓と頂上をつなぐロープウェイという
安心材料がある。

「よし」と決めた。
東海道線に乗り、金曜日の夜は富士宮市で前泊。
土曜日に身延山に向かった。

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がご覧の通り。
この日は雪に恵まれず、曇り。
翌日、身延山にチャレンジすることにして、
この日は「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」に行った。
武田信玄の時代、このあたりで大量の黄金がとれたらしい。
この黄金が武田軍の強さの秘密ともいわれている。

少し話が脱線するが、
身延山には日蓮宗の総本山がある。
鎌倉時代、日蓮は千葉県鴨川の出身でありながら、
流刑後の晩年をこの地で過ごした。

私は金山博物館の館内を歩きながら、
「なぜこの地を選んだのか」という疑問がわいてきた。
この地域の地頭・南部六郎実長が
日蓮を招いたからというのが表向きの理由ではあるが。

はたしてこの山塊に眠る金脈と
日蓮が身延山を選択したことは関係しているのか。
(誤解を与えないように補足すると、
 金山が開発されるのは200年以上あとだが、
 鎌倉時代から「この地域で砂金が見つかる」程度のことは
 わかっていたのではないか)

雪山に話を戻す。

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翌日は理想の天気になった。
麓では小雨。中腹ではみぞれ。山頂では雪。

山の途中にいくつもの寺院があり、
時折、お坊さんとすれ違う。
登山者はほかにいなかった。

新しく降った雪の上には
私だけの足跡が残っていく。
パサッと枝から雪が落ちる。
がこれ以外には、驚くほど音がない。

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足元の雪は徐々に深くなり、
横殴りで吹く雪の勢いも増してきた。

何度か休憩を重ね、なんとか山頂に到着した。
所要時間は麓から2時間半程度だろうか。

その時、途中の休憩で定期券を
落としてしまったことに気づいた。
最悪なことに、
この定期はチャージしたばかりで
3万円分くらいの価値がある。

だいたいどのエリアで落としたのか、
目星はついていたが、
降り続ける雪の中に埋もれる可能性があった。

冷や汗が出てくる。

すると登山道から20代前半くらいの若い男性が登ってきた。
「これ落としましたよ」
私が探していた定期券をなんと拾ってくれていた。

この道には私一人の足跡しかついていなかったので、
道端の定期券を見て察してくれた。

その彼の優しさに感謝するとともに、
足跡という物質的なものから、精神的な絆が生まれるという
「雪山ならでは」の心の温かさを感じた。

身延山でキリスト教の用語が許されるならば、
救い(Salvation)かもしれない。
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実はこの話、後日談がある。

4月下旬ごろ、
池袋でコロナ禍の街の様子を撮影していると
日蓮正宗の勧誘にひっかかってしまい、
二人組の男にひたすら日蓮の予言の話をされた。

日蓮が新型コロナウィルスを予言していた、
の類の話である。

悪い人たちではなかったが、
あまりにもしつこい。
「すみませんが、次の用事があり、お断りします。
 日蓮のことは歴史的人物として多少知っています。
 この前、身延山にも行きました」とふりきると

今まで比較的笑顔だった男性が形相を変えて、
「あなたは何も日蓮のことについて知らない」
と大声で怒りを露わにした。

身延山で感じた愛と
池袋での罵声。

帰りの電車の中、
私の気持ちは複雑だった。


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