最終

映画館でジョーカーを見たあと作業するためにサイゼリアに入ろうと思って緑色の看板を目指して歩いて、着いた!と思ったらくら寿司だった。おそらくサイゼリアを求めすぎて幻覚をみたんだと思う。こういうことがありすぎて怖くなる。この前は家に向かって歩いてたら全然知らん住宅街にいた。私は出口に向かってなんとかなんとか歩いているつもりだけど、見えているアレが出口じゃなくてくら寿司だったらどうしよう?

昨日、ミスIDの最終面接が終わった。もうめっちゃくちゃ緊張して待ち時間めちゃくちゃ稽古して喉ぴよぴよで面接に臨んだ、デカい部屋に芸能人たち(という言い方はどうかと思うけど緊張度合いを伝えるために芸能人たちと書きました)の前で一人芝居をやった、自分のホンをみてほしかったけど大事なセリフを3個くらい飛ばして、ホンをみてほしいという趣旨はダメだった挙句、ホンへの言及はなく「役者やったほうがいいですよ」と4回くらい言われてイヤあの…をうまく説明できず、役者はやりません…をうわ言のように繰り返していた。俳優はすごい、偉大だ、とても及びつかない

私は、ネガティブ、というか、自分の不純さについて多くの時間を設けて考えているから、その話をしようと思って、全然しきれんかったけど、そこは腑に落ちる言葉のみでお話しできたからよかった。芸能人の方々は笑ってくれて、それは本当によかったのだけど、よかったという気持ちとはまったく別で、世の中に恐怖してしまって、女が下品な話をすると簡単に笑いとれちゃうの、なんだかなーと思う。自分がそれを楽しんじゃいがちだから尚更だ。自分のグラデーションの中でのヤバい部分、下品な言葉が持つ強さ、は自覚していて、同時にその強さは使い方しだいで、とても危険なことも知っているから、からこそ、脚本を書くときはローコンテキストでありたくて、ハイコンテキストな部分は、具体を積まなくてはいけない時に、引き出しからパッと出し入れできるような状態にしておきたい、あくまでしたいのは対話であって、自分がヤバいこと、強いことをアピールしたいのではないのだ、ないのだ ただ、最終面接においては、魂に近い言葉を喋りたかった

ここまで書き冒頭の文を読み返した。くら寿司なら、嫌だけど、いいかなと思う。というか出口はないんだとも思う、そもそも。今日も安い寿司でぬるく生き延びます? 今は辛いけど、生き延びればなんかあるだろ、佐久間宣行や大森靖子に会えたみたいに

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