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「あるのは、その人がどういう人だったかってことだけです。」

先日、好きなドラマ「大豆田とわ子の3人の元夫」を見直していて最後まで見終わりました。
今日はとっても印象に残った場面の台詞について。

主人公とわ子の幼なじみ、家族みたいな存在のかごめが急死してしまいます。その一年後、朝のラジオ体操でたまたま知り合った小鳥遊という男性に、とわ子はそれまで心の中にしまってあったかごめへの思いを語ります。

それを聞いて小鳥遊が言った台詞。

「過去とか未来とか現在とか、そういうのってどっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。
時間って別に過ぎていくものじゃなくて、場所っていうか、別のところにあるものだと思うんです。
人間は現在だけを生きてるんじゃない。
5歳、10歳、20歳、30歳、40歳、その時その時を、人は懸命に生きていて、それは別に過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。
あなたが笑っている彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし、5歳のあなたと5歳の彼女が今も手を繋いでいて、今からだっていつだって気持ちを伝えることができる。
人生って小説や映画じゃないもん。
幸せな結末や悲しい結末も、やり残したこともない。
あるのはその人がどういう人だったかってことだけです。
だから、人生には2つルールがある。
亡くなった人を不幸だと思ってはならない。
生きてる人は幸せを目指さなければならない。
人は時々さびしくなるけど、人生を楽しめる。
楽しんでいいに決まってる。」

私にはほんとうに、その通りだったらいいなと思えました。
生きていたら大切な人や家族、友達などを亡くす経験から、誰も逃れられません。
もっと何か力になれたんじゃないか、優しく出来たんじゃないか、自分があんなことしなかったら、とかたくさんのもしが出て来て苦しい思いをされた方もいると思います。
でも、いつだって気持ちを伝えることができると考えたら、どうでしょう。
自分の心の中にいるその人に伝えたいことは、いつでも伝えられると思えたら。

随分前のことですが、よくしてもらっていた年上の友達が亡くなってしまいました。友達が私にうっすらヘルプ信号を出していたことに全然答えられなかったことがあり、あの時どうしたらよかったのか?とずっと心に残っていました。数年前、思い立って友達に手紙のようなものを書いてみました。ああ、私はごめんねって、伝えたかったんだなぁって、書いていて気が付きました。

いつからだって遅くないんじゃないかな。
もう会えない人にも気持ちを伝えていける、
そして生きている間は幸せを目指すんだと、
人はみんなその時々をそれぞれ懸命に生きている、
このことを知って受け入れるのは。

「大豆田とわ子の3人の元夫」は基本コメディですが、結婚、離婚、友達の死、同性愛など重めのテーマを挟み込みながら、自分の幸せとは?人との繋がり方とは?などに思いを巡らされる、楽しくて心に迫る素晴らしいドラマでした。
脚本家、坂元裕二さんのドラマはどんどん進化しているように感じます。

AmazonプライムやNetflixで観れますので、
観たことがない方は、是非〜♡

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