第803回 好き日とはなにか

1、禅語に学ぶ 第四

松原泰道2011『禅語百選』から一つ選んで紹介するシリーズ。

今日はもう何度も見ていたはずの禅寺からの庭の眺めが

雨音とあいまって、ハッとするほど美しかったので

どうしても禅の世界に浸りたい気分になりました。

ちなみに前回はこちら。

もう半年近く前ですね。

2、日々是好日

一般にも膾炙している言葉なので目にしたことのある方も多いことと思います。

もともとは『碧巌録』という中国の宋代にまとめられた禅語録にある文句らしいです。

松原氏によればかの臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴でさえも「容易ならぬ」と嘆じた、ということですから

表面的な意味だけでは捉えられない深みがあるのでしょう。

氏は吉川英治氏の言葉(出典は不明)として

晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ

を引用して理解を扶けています。

これを読むと我が町の観瀾亭に掲げてある

雨奇晴好

という額(仙台藩5代藩主吉村の筆)を思い出します。

原典は蘇軾の詩にある言葉ですが、よく雨で遠くが見通せない景色の言い訳に私もよく使っていました。

禅の精神はこだわりを捨てること。

日柄がいい(好日)だとか、気候がいいだとか

そんなこだわりから離れて、あるがままの、今の景観を楽しむことが幸いだということにつながるのでしょう。

こうでなくてはならない、という思い込みを捨てることが

いかに心を軽くしてくれるか。

3、2度と会えないこんな日は

さらにもう一つの解釈として

今日が一番好い日だと思うことが大事ということ。

明日とかいつかでは機を逃してしまう、ということを含意しているとも松原氏は解釈しているようです。

千利休の孫にあたる千宗旦が新たな庵を造り、

大徳寺の清巌宗渭を招いたのですが、急用で不在にしてしまったとのこと。

懈怠の比丘 明日を期せず

と書き置きを残していたとのこと。

表面上の意味は、

怠け者の僧侶である私には明日を期するということはできない

というところでしょうか。

宗旦はこれを

明日どうなるかわからない人の世において、許されているのは今その時だけだ

と解釈してすぐに謝罪に訪れたとのこと。

このエピソードに因んで庵の名前は「今日庵」としたとか。

身近な景色だと、つい有り難みがなくなってしまい

また見にくればいいか、

などと思ってしまうのですが

時間も違えば、気候も違う。

誰と見たかも違えば、自分の精神状態も違う。

同じように見える景色でも、今しか見れないものだ、と思えば

ちょっと鮮やかに目に飛び込んできたりするものでしょうか。

漢詩に限らず、古今東西の歌に詠まれることですね。


固定観念をとっぱらってありのままの景色を楽しむこと。

今この時を大切に、精一杯生きること


また心が惑うことがあれば禅の世界に立ち返ってみるのもいいかもしれませんね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



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