第814回 まだまだ戦時中・占領下の色濃い時代

1、国会会議録検索システム

を使って「文化財」という言葉が国会でどう語られてきたのかを

戦後の第一回国会から少しずつみてきたこのコーナー。

ちなみに前回はこちら。

2、第12回国会 衆議院 本会議 第23号 昭和26年11月30日

建築家内田祥三が文化財保護委員に任命することについて、審議がなされています。

文部次官の有光次郎氏が退官したことを受けて、

建築の専門家がいなかったことからも、内田氏に白羽の矢が立ったようです。

むしろよく今まで建築の専門家がいないでできたな、という印象


3、第13回国会 参議院 地方行政委員会 第14号 昭和27年3月5日

この日は前日に起きた十勝沖地震の話題から議論が始められています。

この地震は襟裳岬南東の北緯41°42.3′、東経144°09.0′、深さ54㎞を震源とするM8.2の地震で

北海道だけでも人的被害は、死者30名、重傷90名、軽傷426名。
被災者総数は15万9114人、被災戸数3万9611戸もあった大きな災害でした。

国家地方警察本部長官斎藤昇が政府委員として被害状況の説明を行なっているのですが、

翌日にもかかわらずここまで情報を得ているのだな、という印象でした。

いずれ震災の被害を受けた文化財へ修復の補助を、という話題も上がってくるでしょうか。

さて、文化財に関する話題は刀剣について。

参議院議員の高橋進太郎が

美術品としても価値のある日本刀が、占領下ならまだしも、いつまで所持を禁止されるのか

という疑問をぶつけています。

彼は宮城県白石市の出身で、戦時中から南洋行政に携わっていたことから

南洋諸島からの引き上げ事業に尽力します。

公選としては初代となる宮城県知事、千葉三郎の下で副知事を務めていましたが国政へ転身。1期務めた後はまた地元に戻り県知事にもなっています。

それはさておき、国家地方警察本部刑事部長、中川董治は

文化財保護委員会が審査して登録を行なっているので、一定の手続きを踏めば合法的に所持することは可能だ、と反論しています。

高橋は、文化財の登録をすれば所持できる、というのは治安維持とは別の問題であると食い下がります。

平和が克復したのだから、国民をして何か占領下から解放してやる、こういう朗らかな気分にすべきじやないかと思う

というのが彼の意見です。

これを受け、斎藤昇長官は

今日でもいわゆる集団暴力行為を行うであろうと考えられるような場所を捜索いたしまする際に、数多く出て参るのがこの刀劍類でありまして、むしろ我々はそういつた方面における取締をもつと厳重にやつて行かなければ危険だ、かように考えておるような現在の情勢でございます。

と実態に即した説明を行います。

例えば共産党の非合法の機関紙の頒布先を捜索しますといつたような場合に、こういつた銃砲刀劍類が多数に発見をされておるのであります。

と続く発言には時代を感じてしまいます。

今だったら相当問題視される発言ですよね。

結局のところ、現在でも都道府県の文化財関連業務として

刀剣審査会が所管されており、そこで美術品である、という登録を受けて

初めて所持できるという流れは続いています。

戦後すぐのころは

銃はしょうがないが、刀剣は所持を認めるべき、それが占領からの解放を印象づける、という考え方が普通にあったんだということに驚きです。

実際、反社会性勢力の家宅捜索を行うと多量の刀剣があった時代。

しかもそれを「共産党の非合法の機関紙頒布先」などと名指ししていまうことが許される時代。

なんだか隔世の感がありますね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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