第742回 国会議員が視察にやってきた

1、国会会議録検索システム

を使って「文化財」という言葉が国会でどう語られてきたのかを

少しずつみていくこのコーナー。

ちなみに前回はこちら。


2、第8回国会 参議院 文部委員会 閉会後第4号 昭和25年10月3日

ここでは「日本初の女性小学校校長」とも呼ばれる木内キヤウ議員が視察内容を報告しています。

文化財保護法施行後の各地の状況調査、という側面もあったようで、

埼玉県では川越市の東照宮、喜多院で修復が進んでいる状況を確認したようです。

地域でも保護意識が高まり、防災や防犯対策に国の援助を求めている、という報告がなされています。

長野県では黒田人形という民俗芸能の保護の必要性をレクチャーされたようです。

さらに埋蔵文化財というところでは塩尻市の平出遺跡に案内されたようで


実はあの文化がなかろうというような地方において、これを指導する人が立派であると一緒に、村民たちもその熱意に動かされて実によくやつていたことを皆様方に御報告申上げたいと思つております。

と述べています。

指導する人、とは最初にこの遺跡の重要性を見出した国学院大学の大場磐雄教授のことでしょうか。

この遺跡では昭和25年から本格的な調査が開始され、

縄文時代から平安時代まで合わせて290棟以上の竪穴建物跡が発見されることになります。

続いて山梨県では長谷寺本堂、窪八幡神社本殿、名勝猿橋で修復工事が進められている様子を視察したようです。

「日本三奇橋」とも呼ばれるほど名高い猿橋は

古くは文明19年(1487年)に聖護院道興が訪れ、『廻国雑記』に漢詩を残し、

江戸時代には葛飾北斎、歌川広重が浮世絵にしているものです。

昭和7年には早くも国の名勝に指定されているものの、地元の村が管理負担を嫌がって所有を認めなかったため、しばらく国の補助を活用した保全が行われていなかったようです。

総括として

①法律ができて関心が高まっているからこそ、国が積極的に文化財保護の支援をすべきこと

②埋蔵文化財については、調査成果をもっと発信すべきこと

③無形文化財についても保護策を講じる必要があること

という報告がなされています。これは地元側としては思いが伝わったと言える内容ではないでしょうか。

続いて岩間正男議員(宮城県選出、共産党所属で何度かこの連載にも登場)は新潟、佐渡、富山、石川に視察した報告を行っています。

はじめに県庁が建てたプランに反して、自分たちが行きたいところに行った、と誇らしげに語っているところが印象的です。主に学校教育分野の視察に関してのことですが、地元側が都合の良いところばかりを見せようとする気持ちもわかりつつ、実情を知りたいと思う国会議員の心意気にも共感しますが、振り回される末端はたまったもんじゃないなぁ、と感情移入したり。

さて文化財に関しては、

佐渡の新穂村で、鬼太鼓や野呂間人形という民俗芸能を見て、保護の必要性を感じたようです。

富山では瑞龍寺、金沢では尾山神社と尾崎神社の修理現場、そして金沢城を見て回ったとのこと。

さらに前田家の邸宅であった成巽閣。

所有者が維持管理費用に苦慮していることを切に訴えたようで、シロアリの駆除も自ら行うくらいで、なんとか国の援助を期待したいということであったようです。

奈谷寺でも鐘楼の破損が目に余る状況だったことも報告されています。

3、視察対応の妙

いかがだったでしょうか。

文化財保護法が施行され、全国で文化財の修復が行われるようになり、

国会議員でも現地を視察する機会が増えてきたのでしょう。

正直私も国会議員さんの視察対応で文化財の説明をしたことが何度かありますが、

本当に関心を持ってくれているのか疑問な反応だったときもありました。

少なくともこの頃の議員さんたちは地元の意向を汲み取って

曲がりなりにも自分の言葉で窮状を語ってくれているのだと感じました。

あの頃できたんだから、今だってできないことはないですよね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。





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