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第632回 九州の刀匠の話題2連発

1、日本刀レビュー30

週刊『日本刀』のレビュー

ちなみに前回はこちら

2、心優しき刀匠から親分肌の武士の頭領まで

巻頭の【日本刀ファイル】は忠吉。

九州肥前(現在の佐賀県)の刀匠です。

佐賀初代藩主鍋島勝茂の庇護のもと、京都の埋忠明寿に学んだとされています。

いずれ【刀匠伝】にも登場しそうですが、

もともと忠吉の父は鍋島家の主筋にあたる龍造寺家の家臣で、

九州の覇権をかけた沖田畷の合戦で戦死してしまいます。

13歳で父と死別した忠吉は鍛冶師の家で養育され、24歳のときに京都に登って修行したとのこと。

師である明寿に対する思慕の念は晩年まで続き、

後半生の作品にもわざわざ「埋忠明寿弟子」と銘を刻んだ作品があるほどだということです。

掲載作は慶長五年の作刀で、まだ20代の忠吉が作った最初期のものと考えられ、

藩主から家老の多久家を経て、現在は佐賀県立博物館に収蔵されているそう。

藩お抱えの刀匠を育成し始めて、最初に出来上がった名品を

家老に授ける、という物語が想像できますね。

続く【刀剣人物伝】は足利尊氏。

最近の南北朝ブームで脚光を浴びていますが

正直愛刀家としてのイメージはありませんでしたが、

長船派の刀匠育成に力を注いだ他、刀に関するエピソードもいくつか伝わっています。

まずはなんと言っても「骨喰藤四郎」です。

粟田口吉光作の薙刀を擦り上げて太刀にしたものですが

斬るマネをしただけで刃先の方向にいる者の骨が砕けるという

恐ろしい伝説が伝わっています。

足利尊氏が一時劣勢になって九州で再起を図った際、豊後(現在の大分県)の大友氏から献上されたというものですが

歴代足利将軍家に受け継がれて、豊臣秀吉、秀頼から徳川家康に渡り、最後は豊国神社に寄進されたという、天下人を渡り歩いたかくれなき名刀です。

「二ツ銘則宗」も足利家重代の太刀として歴代将軍に受け継がれていますが、6代義教・8代義政のときに一時奪われる危機を乗り越えて、京都の愛宕神社に奉納されたという歴史を持っています。

天下五剣の一つとされた「鬼丸」も鎌倉幕府執権の北条氏から新田義貞を経て足利家の宝刀となっていますが、最初に手に入れた斯波高経が尊氏に献上するのを渋ったというエピソードも残されています。

なんでも気前よく家臣に恩賞を与え、慈悲深く、いつも笑みを絶やさない親分肌の尊氏でも、名刀には目がなかったようで、珍しいタイプの逸話だと言えるでしょう。

【日本刀匠伝】は真改。

大坂新刀の創始者とされる和泉守国貞の子で、2代目を襲名した刀匠です。

初代国貞は日向国飫肥(宮崎県)の伊東家のお抱えとして大坂で腕を振るいます。

真改も若い頃から中江藤樹の門下で陽明学を学び、その「真改」という号も同門の先輩である熊沢蕃山が名付けたとも伝えられています。

早くも23歳で父の死去に伴い2代目を襲名し、やがて朝廷から十六葉の菊花紋を茎に刻むことを許されるほどの腕前に成長します。

相州伝の伝統を重んじた作風から、かの名工にちなんで「大坂正宗」とも称されています。

その最期は食中毒だとか、酔って井戸に落ちたとか様々な風説が立てられた、といいますから、ある意味当時から話題にのぼる著名人だったのでしょう。

【日本刀ストーリー】で紹介されているのは「上古刀の世界」

慶長期を境に「古刀」と「新刀」に分かれる、というお話は何度かこの連載でも紹介していますが、

「上古刀」とはいわゆる日本刀が成立する以前の刀、

具体的には平安時代よりも古い時代、

正倉院や古社寺に伝わったものや、古墳など遺跡からの出土品も含まれます。

具体的には

伝世品で最古級の金銅荘環頭大刀拵大刀身(高知県小村神社蔵)は

7世紀後半のものと考えられています。

同じく7世紀のものと考えられるのは大阪四天王寺に伝わる

丙子椒林剣は聖徳太子の佩用とされています。

また四天王寺には七星剣も伝わっており、龍を象った金象嵌を施した極めて珍しい造形で知られています。

ここまでの刀は日本刀特有の「反り」がないものですが

東北地方を中心に遺跡から出土する蕨手刀や

春日大社の「金地螺鈿毛抜形太刀」などは反りが見られ、

日本刀のルーツを探る上で重要になる刀が紹介されています。

3、愛されていたからこそ残った

いかがだったでしょうか。

個人的には足利尊氏の「鬼丸」に関するエピソードは意外でした。

そして、振っただけで当たってないのに骨が砕ける刀って恐ろしすぎる。

ゲームの世界の武器みたいな話。

現存している中では日本最古かもしれない刀が高知県の神社の御神体として伝わっている、というのも驚きでした。

ちょうど石川県で同じ頃の仏像が新たに確認された、というニュースを目にしたばかりでしたので、

あるところにはまだあるものなんだ、ということを感じたわけです。

1300年以上もよくぞ、と思いつつ、どんな歴史を持って伝来したのかを考えてみたくなります。


本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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