第801回 最期の時に思うこと
1、漢詩と詩人その18
『文選』に収録されている作品と詩人を紹介していきます。
ちなみに前回はこちら
2、文人が政治に関わるのは是か否か
今回ご紹介するのは欧陽建。
これまでご紹介してきた潘岳や陸機などとともに「賈謐二十四友」と並び称された西晋代の詩人です。
尚書郎や馮翊太守として政界に関わり、
潘岳らとともに八王の乱の中で命を落としてしまいます。
この時に一族ともに滅ぼされてしまいますが
欧陽氏は楷書の四大家として知られる欧陽詢や
唐宋八大家の一人として称えられる欧陽脩を排出しています。
3、臨終詩
伯陽は西戎に適き (かの老子は周王朝が衰えると西の異民族の元へ向かい)
子は九蛮に居らんと欲す(孔子は東方の異民族の元へ向かおうとしたという)
苟も四方の志を懐かば(いやしくも天下を治めるという志を持っているならば)
所在に遊盤すべし(どこにいてもその境遇を楽しむことができる)
況んや乃ち屯蹇に遭い(ましてや袋小路に迷い込んで)
顚沛して災患に遇うをや(つまづき、災厄に遭遇したのだから)
古人は機兆に達し(古の人は微かな兆しにも通じ)
馬に策ちて近関に遊ぶ(馬を飛ばして関所を越えていったのだ)
咨 予 沖く且つ暗く(ああ、私はなんと未熟で愚かだったのだろう)
責めを抱きて微官を守る(責めを負ったまま、取るに足らない官職にしがみ付いていたのだ)
潜図は密かに已に構えられ(密かな謀は既に備えがなされていて)
此の禍福の端を成す(このわざわいの始まりだったのだ)
恢恢たり六合の間(この宇宙はなんとも広く)
四海は一に何ぞ寛き(天下においてもまた同じく広い)
天網は紘綱を布き(罪人を捉える天の網は広く張り巡らされ)
足を投ずるに安きを獲ず(足を運んで赴くことなど容易いことではなかった)
松柏も隆冬には悴み(常緑の松や柏ですらも枯れてしまう厳しい冬を迎えてから)
然る後に歳の寒きを知る(はじめて寒さを知ったようだ)
太行の険を渉らずんば(険しい太行山を登ってみてはじめて)
誰か斯の路の難きを知らん(人はその道を走破することの困難を知るのだ)
真偽は事に因りて顕わるるも(真偽は事実によって明らかになるとしても)
人情は予め観難し(人の心は事前に見知っておくことは難しい)
窮達には定分有り(順調にいくか、行き詰まるかはもともとの定めがあり)
慷慨して復た何をか歎かん(気持ちが昂って何を嘆いたらいいのだろうか)
上は慈母の恩に負き(上を見れば母の恩に背いてしまった)
通酷して心肝を摧く(その痛みは心を砕いてしまいそうだ)
下は憐れむ所の女を顧い(下を見れば憐れな娘を思うと)
惻惻として中心に酸む(心の中は悲痛のただなかにある)
二子も棄てて遺るるが若し(二人の息子も見捨てることになってしまった)
念うに皆凶残に遘わん(きっと皆無残な目に合わされてしまうのだろう)
一身の死を惜しまざるも(我が身の死を惜しむことがなかったとしても)
此を惟えば循環するが如し(家族の身に降りかかる悲劇を思えば心は惑い巡る)
紙を執れば五情塞がり(何かを書き残そうと紙をとれば感情は塞がり)
筆を揮えば涕汍瀾たり(筆を持てば涙は止めどなく流れていく)
4、歴史に学べるか
政争に敗れて刑死させられていく哀しい心情をなんとも素直に表現した漢詩です。
自分一人ではなく、家族まで連座して処刑されるこも分かっており、
古の賢人たちのように身が危うくなったときは、身を隠すべきだったと嘆きます。
中国の史書にはこれでもか、というほど前例が載っています。
文人たちはもちろん理解していたでしょうが、我が身のこととなると
判断を誤ってしまうもの。
現代の我々も、歴史についていくらでもアクセスできるような時代に生きていながら、なかなか過去に先人たちと同じ過ちをおかしてしまいがちですね。
なお一層肝に銘じていきたいところです。
本日も最後までお付き合いくださりありがとうございました。
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