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第479回 溶岩の大地の上に築かれた集落

1、職場にご恵送シリーズ45

『史跡大鹿窪遺跡保存整備基本計画 概要版』

平成31年3月 富士宮市教育委員会

静岡県の富士宮市に知り合いがいるので、いつも送ってもらっています。

ありがたいですね。しっかり勉強します。

この機会にこの遺跡を少し紹介したいと思います。

2、はじまりのムラ

この遺跡は、ほ場整備事業(田んぼの区画を広げて効率化を図る公共事業)に伴って発見され、

その価値が非常に高いことから平成20年に国の史跡に指定されています。

発見されたのは縄文時代のはじめ頃の遺跡。

田んぼの中、ということからもわかるように丘陵に挟まれた低地にあり、

東側の丘陵の向こう側に富士山を眺めることができます。

縄文時代の遺跡というと、小高い丘の上にあり

斜面に貝を捨てるので貝塚ができる、

そんなイメージがありましたがちょっとこの場所は違うようですね。

実際、東側の丘陵上にも縄文時代の遺跡が数多く見つかっているようですし。

一つは縄文時代のはじめ、草創期から早期という

獲物を追いかける移動性の高い生活から

定住性の高い生活へと変化した最初の頃ということも影響しているでしょう。

さらには富士山の溶岩が何度も堆積するという特殊な環境も一つの要因かもしれません。

放射性炭素年代測定によって

集落は1万3000年前、

その下の地層にある溶岩は1万7000年前で、

集落を覆うように堆積する溶岩は1万年前という結果が出ています。

火山の噴火というビックイベントの間を縫って集落が営まれていることになりますね。

現在見つかっている竪穴建物跡は15基で、

その痕跡が一部重複することから、建て直して長期間暮らしていたこともわかります。

遺跡内の土に含まれる花粉を分析するとクルミ、クリ、トチノキなど縄文人が好んだ植物が多く含まれる環境だったことがわかります。

溶岩を生かした配石遺構も見つかっており、

特殊な環境に適応しようと様々な工夫が凝らされていたのでしょう。

3、整備にかける期待

そんな貴重な遺跡をどう活用していくか、

その第一歩がこの「整備基本計画」ということになりますね。

まだイメージということですが、このような絵も掲載されています。

基本理念は

富士山の西南麓に営む 縄文ムラのはじまりの体感」ができる空間と時間を創出・継承する

が掲げられています。

いくつか特徴を挙げると

まずは最近はやりの体験としての竪穴建物の復元。

同時期に存続していたと考えられる3棟を復元する計画ですが、

そのうち一つは体験活動として参加者を募って一緒に竪穴建物を作るということです。

そうすることによって共に作り上げた、という意識が生まれ、遺跡への愛着が湧くことが期待できます。

そして整備された遺跡にはガイダンス施設が不可欠ですよね。

現在遺跡に隣接している建物は集会所的な機能を持った施設ですが、

立地的にガイダンス施設だと思われてがっかりされることもあるようです。

この集会施設を改修して本当にガイダンス施設にするそうです。

埋められてしまってもう見ることができない発掘調査時の状況をパネルで紹介したり、

出土遺物を展示したり、

小さくてもワークショップができるようなスペースがあるといいですね。

現在計画がある程度具体化しているエリアは2023年に完成予定ですが

隣接するエリアはこれから発掘調査も予定されているようで、

さらなる期待が膨らみますね。

富士山の恵みとともに生きた縄文人たちの暮らしが身近に感じられるような施設になることを期待します。


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