第761回 引き際を見失った詩人

1、漢詩と詩人その15

『文選』に収録されている作品と詩人を紹介していきます。

ちなみに前回はこちら

2、興国の英雄から亡命の文士へ

今回ご紹介するのは陸機。

呉郡(江蘇省蘇州市)の出身で、呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一角を占める

有力豪族の家柄です。

三国時代の呉の建国の英雄で丞相まで昇り詰めた陸遜の孫に当たります。

呉が滅んだ戦いで、二人の兄を失った陸機は隠遁生活を送りますが、

その才を見出されて、仇である晋に仕えることになります。

政治だけでなく、文壇でも影響力の大きかった張華には

呉を討伐した成果は陸機と陸雲の兄弟を得たことだ

とまで言われたと言います。

文選に採録された作品数では最多である、と本著には記されています。

作品は評価される一方、政治的にはいわゆる「八王の乱」と呼ばれる

政争に巻き込まれ、最後は冤罪で死を賜っています。

3、招隠詩(隠者を招く詩)

明発まで心夷ばず (夜明けまで一晩中心は落ち着かず)

衣を振るいて聊か躑躅す (身支度を整えて逡巡していた)

躑躅して安くにか之かんと欲する (どこに行こうというのか)

幽人 浚谷に在り (世を避けて深い谷に住む人は)

朝に採る 南澗(門構えの中は月)の藻 (朝は水草を採り)

夕に息う 西山の足 (夕方には、かの伯夷叔斉が暮らしたという首陽山の麓で)

軽条は雲構に象り (軽やかな木の枝は雲まで届くような高楼に似て)

密葉は翠幄を成す (生い茂った葉は華美な幕のようだ)

激楚 蘭林にどどまり (激しい楚の音楽のような風が蘭林にとどまり)

回芳 秀木に薄く(その香りは木々を包む)

山溜 何ぞ冷冷たる(山中を流れる水はなんと涼やかなのか)

飛泉 鳴玉に嗽ぐ(滝が宝玉のように音を立てる)

哀音は霊波に附き(澄んだ音が渓流の流れに寄り添い)

頽響は曽曲に赴く(余韻が山並みに響いていく)

至楽は仮有に非ず(最高の楽しみは偽りではなく)

安くんぞ醇樸をうすくするを事とせん(どうして純粋な営みを軽んじるのか)

富貴 まことに図り難し(富栄えることなんて、本当に難しい)

駕をときて欲する所に従わん(仕事を投げ打って心の赴くままにいよう)

4、招くというか招かれている

いかがだったでしょうか。

この漢詩を詠んだ時にはすでに晋の王朝で高位にあったのでしょうか。

滅ぼされた敵国の有力者の息子である、という評価は常に付き纏い、

それに対する反発から著作に励んだ、という側面もあるかもしれません。

宮仕も気苦労が多かったのでしょう。

10年近く隠者の暮らしをしてからの再出仕。

なんど元の世捨て人の暮らしに戻りたいと思ったことでしょう。

作者の素直な心情(本音)が伝わってきますね。

そして、先ほど述べたように、最期まで自由を謳歌するところまで

戻っては来れませんでした。

彼ほどの文人でも引き際というのは難しいということでしょう。

実際同郷で同様の立場にある、顧栄・戴淵らは故郷に帰ろう、と陸機を誘ってすらいたようです。

どうしても成し遂げたい志がそうさせたのでしょう。

普段気を張っている文人が唯一本音を吐けるのは漢詩の世界、ということであれば美しくまとまりますね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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